いのこ 愛知厚顔 70代 元会社員 2003/6/16投稿 | ||
久しぶりに野登山に登った。 心地よい汗をかいて山頂の野登寺に詣で、山麓の坂本へと下ってきた。 夏ミカンが木に二、三個残る農家の庭先をふと見ると、広い庭の真ん中に一米ぐらいの穴がデンと開けられている。もしかすると思い、 『それは何の穴ですか?』 お年よりに聞くと 『イノコさんにお祝いしてもろうた。』の返事。 やはりそうだったか、むかし南鈴鹿の山麓一帯の集落では[イノコさん]とか、[イノンコさん]とか呼ばれる土俗信仰があった。 子供のころ、私もその祭礼に参加するのが、とっても楽しみだった。 土地の友人の便りでは、最近ではこういう類の古い祭りもだんだん薄れ、子供を中心としたイノコ祭りも、肝心の子供たちが学習塾通いとか、宿題やらで減ってしまい、いつか沙汰止みになったという。 それなのに、こゝではまだ現役で古いイノコが残っていたとは…。懐かしさのあまり、お年寄りと小一時間も話し込んでしまった。 イノコさんは、△△地蔵とか××神様という格式にとらわれず、我が集落だけのプライベイトな守り神である。 九州や他の地方での[田ノ神さま][お屋敷神さま]みたいなもの。私が子供のころ扱ったイノコさんの御神体は、直径四十a高さ五十aぐらいの単純な花崗岩だった。 この石は日ごろは集落の広場に置いてあり、青年団の若い衆が腕自慢で持ち上げたり、肩に担ぎあげて歩いたりして、若いエネルギーを発散させる道具になっていた。 しかし神様はいつもでも広場に安置されていることはなく、しょっちゅう集落で出番があった。 お祝いごとがあったり、祭礼のときは自由に移動して幸福を約束する。実に便利でありがたい神であった。この御神体の移動運搬は子供の役目である。 イノコ祭りが近づくと、子供たちは鈴鹿の山に入って、しっかりした藤蔓を沢山採ってくる。樹皮を剥ぎ取り池の水に一週間ほど漬ける。それを木槌で丹念に叩くと、しなやかで強いロープができる。それをイノコ石の胴体の周りにしっかりと巻きつけ、重い石を持ち上げても、すっぽり抜けないように縛る。 その上から四方八方に藤蔓ロープを取り付け、大勢の子供が縄の端を引っ張れるよう工夫する。最後に注連飾り(しめかざり)をつけて完成である。祭りは夜に行われる。大将は小学校六年生と決まっていた。あとは一年生ぐらいまでの子供が参加する。 [いのこ] 暗くなって祝事の家へ廻っていく。お祝いは婚礼、新築、出産、病気全快、表彰、などetc。希望すれば祝事に関係なくとも神様は立ち寄ってくれる。そして幸福を呼び込む大穴を庭にあける。 子供たちが縄を引っ張れば、イノコさんは空中にハネ上がり、縄を弛めるめるとドシンと石が落下して大穴をあける。それを掛け声で繰り返す 『イノコさん、イノコさん、イノコ餅搗こか。 |
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