土の道賛歌  「琵琶湖周航の歌」や「坊がつる賛歌」で歌えます。

1番 幼き日から 幾とせか 祖父も遊んだ鈴鹿川
   レンガに刻む 100余年 汽車の煙ぞ今いずこ
   コスモスの頃 訪ねれば 丘の向こうの山並みが
   変わらぬ明日を 指し示す 郷土の誇りここにあり
4番 しらさぎ遊ぶ 椋川の 流れに沿って土の道
   蓮華なの花 摘んだ日を 思い起こさすみちくさの
   姿消えさる 七曲り 橋のみ残る いまになお 
   モロコ追った日 はるかなり 残れ残そう土の道
2番 そそり立つよな 絶壁と 白雲(はくうん)響く 清流の
   巨石おりなす 石水渓 仙のいただき人寄せず
   竜が来るぞと 命賭け 賢者の教え 今になお
   永久の流れぞ ここにあり 守れ心のふるさとを
5番 伊賀路につなぐ 加太越え 人世の為に身を削り 
   あわれ尊き 経塚や 癒せ不動の清き水
   歳月重ねる 鉄の路 今日も見守る地蔵堂
   錫杖あおぐ 古き地に 鹿伏兎(かぶと)の人の
   気骨あり
3番 茸(たけ)狩りの山 いつの日か 大海原に姿変え
   見渡す限り 茶の香り 遠くに望む鈴鹿山
   季節おりなす 土の道 小川のほとり 歩むとき
   幼い日々を 思い出す 花も草木も変わらずに
6番 草木に埋もる 細き道 その名も古き金王道
   今はその名も 人知れず 静かにたたずむ 里山に
   密かに駆けた旅人の いかにあろうか その想い
   平和な時代 続けよと 歩めば諭す古き道

 1番は桜木の道です。鈴鹿川は子どもの頃、暑い夏の日、母や近所の人たちと
水遊びに行きました。
鉄橋に列車が通ると、上からおしっこが降ってくるからと逃げたものです。
母たちは川で洗濯することもありました。 皆が貧しい時代、安上がりなレジャー
だったのです。変わらぬ明日を・・・・は時代の変遷でも、したたかに思えるほどに
地場産業を変え歴史を築いてきた、このまち亀山へのエールです。

 2番は安楽川の逆さ川の道です。源流の石水渓はまだ、あまり俗化していない
キャンプ場であり多くの滝と巨石の間をぬうように清流が落ちる一帯です。
絶壁に覆われた仙ヶ岳は険しい登山の対象であります。
”竜が来るぞと命賭け”はこの地に伝わる洪水から村人を守った民話「銭一文」
(流れの宮)を意味し、この一帯は亀山人にとって神聖な山々であり心の原風景です。
永久(とわ)の流れを子々孫々まで守ろうとのメッセージです。

 3番は中の山パイロット周辺の道です。半世紀前までこの場所は赤松林で松茸が
たくさん採れました。
今では広大な茶園となっていますが谷筋の土の道は健在です。

 4番は椋川の堤防道です。子どもたちの通学でのみちくさ場所でした。”七曲り”とは
椋川から一気に小学校の裏に上がる急坂の近道でした。
今ではコンクリートで固めた斜面となっており道とはいえません。
でもそこへの橋だけが残されています。

5番は加太越えの路です。付近には採石で大きく削り取られた山肌が目立ちます。その名である経塚山を詠いました。
加太には明治維新後わずか23年で鉄道(現在の関西線)が敷設されました。
あの険しい山中によくぞ通したものだとあらためて驚かされます。まさに明治の加太(鹿伏兎)人たちの気骨を感じます。
1956年(昭和31年)金場近くで土砂崩れにより列車が濁流の加太川に転落し10人前後の犠牲者がでました。
付近にはその霊を癒すかのように地蔵堂もあります。 

6番は南部の丘陵地帯を抜ける金王道(こんのうみち)です。
平治の乱に破れ主君を殺された渋谷金王丸が急を知らせに京まで駆せ参じた
古道といわれ隠れるように旅した人もいたことでしょう。
ここでウォーキングを楽しむのは平和な世でなければできないことです。
                                                                            作:亀山あるこうかいクラブ 伊藤