猿二題 愛知厚顔 70代 元会社員 2003/6/16投稿 | ||
猿鍋 戦前は、まだ石水渓という名前も知られることが少なく、ここを訪れる人の影も殆どなかった。 もちろんいまの林道もなく、大昔からの細々とした山道が一本、草むして続いているだけであった。 そのころ、この谷は白い花崗岩と緑の樹木、美しい清流や瀑布がかかる秘境だった。また風化した絶壁には、姿、形の良い松などが生えており、村の猟師たちもロープを頼りにこれを採取する。それを町に持っていけば良い値段で売れる。鉄砲でケモノを追いかけるよりお金になるのであった。 ある日、村の男衆の一人が、かねてから目星をつけていた五葉松を採りに絶壁を川面まで降下してみた。すると、どこからともなく猿の集団が現れた。彼らはまさかこんな絶壁に人間がいるとは思っていなかったらしい。びっくり仰天して 『ギャアギャア!』 大騒ぎとなり、崖の岩角や樹木の枝にぶら下がって逃げてゆく。 ところが年老いた大きな猿が一匹よたよたと逃げ遅れた。見ている前で木の枝をつかみ損ねて、アッと云う間に下の滝壷に落下してしまった。 そして打ちどころが悪かったのか、そのままノびてしまったのである。 それを見た男衆は 『イノシシや鹿ならば肉や皮が売れるが、猿はどうも…。肉も食べたことがないし…』 と迷ってしまった。 しかしこのところ軍需施設の要望でケモノは乱獲気味である。鹿もイノシシも取れる数がぐんと減っている。 『まったく無いよりはマシだろう。とにかく村に持ち帰ってみよう』 さっそく引き上げ、苦労して運んでいった。 そして皆で相談の結果、ものは試し猿鍋にしようと決まった。村の男衆をかき集め準備にとりかかった。ドブロクのほうも無理して調達した。その芳香にせかされるように、男たちがやおら猿の皮を剥がしてみると、もうそれは人間の子供そっくりではないか…。それを見ると、とても鍋料理にして食べる気がしなくなってしまった。 『かわいそうや、止めた止めた』 男たちは、早々に小さな棺桶を作って中に納め、村のサンマイ(墓地)に埋葬したのであった。
【竹鉄砲】 ---***--- |
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