以下は奉行所での吟味である。
与力『松平宮内少輔さま宅で捕まったときの様子は?』
鼠 『私が屋敷に潜入したとき、すでにこのことを予測
されていたようです。おそらく私が物音を立て
たのを松平様が、家中の皆の者用心すべし、と
指示され、居間を取り囲み提灯を灯して厳重に
警戒されてました。』
与力『それからどうした。』
鼠 『仕方なく私は天井から飛び降り捕まりました。
ところが私を見て「なんだコソ泥か」と、公に
届け出ると手数がかかり、ことが面倒になるので
知りあいの町奉行所の同心に相談し密かに門前
放逐されたとろこを、こちらの同心さまに捕縛
されたのです。』
与力『あとで松平家のほうでは、お前が大物の鼠だった
ことを知って残念がっていたそうだ。』
与力『お前が入ったある屋敷では、金子が紛失した無実
の罪に問われて牢に入り、ついに獄死した人もいる
のだぞ。』
鼠 『申し訳ありません。そんなことがあったとは
知りませんでした。その罪の報いでいまここに
いるのでしょう。』
取調べで侵入した屋敷を逐一申せ、と役人が聞いたところ、あまりにもその数が多いので暗記もしておれず、役人は武家屋敷を一覧表にした〔武鑑〕を見せ、場所と名を付き合わせながら取調べていった。
与力『どうして武家屋敷ばかり狙ったのだ?』
鼠 『武家屋敷に入るには夜よりは昼のほうが容易いです。
それはどの屋敷も人足部屋、上総部屋があり、
門番にその部屋に行く者と告げれば、いとも
簡単に門内に入れます。そして便所の中に隠れ
ます。人がくれば咳きをすれば誰も怪しみません。』
与力『お前はまた奥向きばかり狙っているが、
どうしてだ?』
鼠 『奥向きは警戒が厳重なようでも、かえって女ばかり
なので咎める者も少なく、長局などでは存外に金目の
物が沢山ありました。』
与力『盗みに入った屋敷で一番困ったのは?』
鼠 『彦根さまの屋敷はことさら警戒厳重で難渋しました。』
与力『吉原の遊女遊びで多額の金子をつかったのは、
無益だと思わないか。その金で遊女を受けだした
ほうが得ではないか。』
鼠 『遊女は遊女です。買って遊ぶのが面白いのです。
通ってこそ有難味があるのです。』
与力『…役人の私には判らない理屈だ。ところでお前は
再犯だというが、前はどの屋敷で逮捕されたのだ。』
鼠 『土浦様のお屋敷で捕まり放逐になりました。この腕
の入れ墨がそのときの罰です。』
与力『お前のために無実の罪を被せられた人がいるぞ。
水野越前守さま方では女中部屋で金子を盗った
だろう。そのため一人の女中が疑われて暇を出され
たが、彼女は無実を訴え恥辱を晴らそうとする
うちにとうとう病気になって死んだそうだぞ。』
鼠 『いまになった皆様にただお詫びするだけです。』
与力『池田様の屋敷で飯を食ったのもお前だろう?。』
鼠 『はい。池田様の長局の部屋で手燭を灯し、お櫃に
あった飯を食べていました。そのとき御女中に発見
され「何者や?」と聞かれましたが、
「別段怪しき者でもありません」と言って大急ぎ
で飯をかきこみました。』
与力『そのとき放火をしたであろう。』
鼠 『はい。この手燭の火で側にあった蚊帳に火をつけ
ました。御女中たちが騒ぐ間に逃げたのです。』
与力『大胆な奴じゃ、町ではお前はいたって身軽で高
い所も手の指をかけて飛び上がり、また細い梁
の上なども獣鼠のように走る。小穴があれば人の
通れない所にも入ると噂しておる。』
鼠 『元鳶職人ですから、高所での仕事は慣れて
いました。しかし小穴を潜り抜けるのは無理
です。』
与力『お前は不義の富を究めたが、金銭には頓着しな
かったようだな。お前に妾も数人いて皆に金を
公平に与えていたようだな。』
鼠 『はい、江戸の町町に数軒の妾宅を置いてました。』
与力『ここの同心が召し取りにいったところ、どの女も
お前からの去り状を見せ、「も早やかかわり無し」
と言い堂々としていた。』
鼠 『それが私に出来るせい一杯の仁義でした。』
彼の自白によって続々と出てきた武家屋敷の名前、江戸の町の人々はそれを聞いて少し溜飲を下げた。それも士農工商の身分制度の中、何も生産活動をしない武士が威張っている。
その鬱憤を少しでも鼠小僧が晴らしてくれたのであった。
膨大な被害のうち百両以上の盗難が九藩、五十両以上が五藩もある。最高は大垣の戸田采女正屋敷で三回も侵入されたうえ、合計四百二十二両も盗難にあっている。
一般の豪商でもかなり被害が出ている。
伊勢屋四郎左衛門。八百屋善知四郎、安藤小左衛門など十一軒がやられた。なかでも西本願寺の用部屋では、信者の供養金が四百五十両も盗られていた。
鼠小僧が侵入したが警戒厳重で何も盗れなかったか、あるいは盗む物がなかった屋敷は、井伊家、戸田因幡守家、松平出羽家、土浦土屋家、など十軒ほどあった。
亀山藩江戸屋敷では二回の被害にあったといえ、十五両と銀二朱、べっ甲の笄だけで済んだのは幸いだった。
怪盗、鼠小僧次郎吉の処刑は天保三年八月、享年三十八才であった。
〔終り〕
参考文献 松浦静山「甲子夜話続編七」
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