東海道の昔の話(11)
  好色一代男          愛知厚顔 70代元会社員 2003/7/23投稿
 
 坂下は東海道第四十八番目の宿場である。
険しい鈴鹿峠の坂の下に位置するので名がある。山間の村としては宿場に頼って生きる道しかなく、わずかの農業、山稼ぎのほかは旅人相手の飲食屋、茶店などが多く、なかでも旅籠屋の比率は東海道五十三次でも最も高いほうだった。本陣は大竹屋、松屋、梅屋が
あり、脇本陣は小竹屋、鶴屋があった。大竹屋本陣址

  『坂の下はよき宿にて、大竹屋、小竹屋といふ
   宿など名高きよし駕籠の者かたる』(鶉衣:横井也有)
  
 その大竹屋に一人の若者が泊まった。
その男は世之介と云い年は十八になったばかり、京都の豪商のどら息子で典型的な放蕩息子である。江戸の日本橋大伝馬町三丁目に出店があり、この一年間の決算報告を聞く修行のため,十二月九日に京都を出発した。都の粟田山を越え杉の葉が白くなった逢坂の関にでる。そして険しい岩角の道の鈴鹿峠を下り、二日目の泊まりを坂ノ下の大竹屋に決めたのである。
 この宿は客室十八、二百畳の広大な建坪を誇っており、東海道で随一と折り紙つきの旅籠である。豪商のドラ息子、世之介は宿の風呂をさっと上がるやいなや、足や体を拭く間もなくさっそく女漁りを開始、
  『このあたりに好い女がいたら呼んでくれ』
あれほど親から釘を刺されているのに、もう病気としか云いようがない。
 宿の番頭は心得たりと、鹿、山吹、ミツという三人の女を連れてきた。
  
   光は出てゆく山吹やしょげる
         夜の寝床にゃ鹿の声   (舞曲扇林)

 土地の若者の流行歌に唄われるほどの美女たちである。
世之介はさっそく彼女たちと三味線、琴、音曲の類と酒の宴を張る。
三人のキャアギャア声。酒を注しつ注されつ口うつしに飲む。嬌声、嬌声。もう馬鹿まる出しの極楽世界が延々と朝まで続いた。
この様子を一人の旅人が見ていて書きとめた。
  「…この山影の一宿にさらりと円居して、ところも山路の菊
   の酒を飲まんよりとて…。これなる山水の落ちて巌に響く
   こそ、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずと唄り、絶えず
   と唄り」
彼の手帳にはまた
  「坂ノ下の宿は町の中に橋二つあり、山水の音高し、これより
   次第に上がりにして岩の陰道おそろしき高山なり」
と記されていた。
 この手帳の主は井原西鶴と言う人であり、江戸から大阪へ戻る旅の途中であった。彼は和歌の世界ではすでに相当な名前で知られ、西鶴派と呼ばれる門下には多くの有能な弟子たちが集まっていた。
 しかし彼の才能は歌詠みだけで終わらなかった。このときの旅の見聞を材料にして、一篇の読み物小説の構想を練ったのである。
 それが天和二年(1682)、四十一才のとき発表された〔好色一代男〕である。
 この小説は大成功を収めベストセラーになった。
とくに小説の中に随所にちりばめられた風景描写と、万葉集や古今集などから名歌が引用されていて、七五調の文体とあいまって、読む人を豊かできらびやかな世界へと導いてくれる。

 この小説の中に登場する、鹿、山吹、ミツの三人の女性はいずれも実在の人物。彼女たちは隣の関宿にある某置屋の所属なのだが、この坂ノ下宿の方が稼ぎがよいので、ここまで出張していたとみえる。


   参考文献  井原西鶴 「好色一代男」「一目玉鉾」
         横井也有「鶉衣」 現在の坂下集落
 
 
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