東海道の昔の話(15) 幕末の旅人 愛知厚顔 元会社員 2003/9/10投稿 |
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元治二年(1848)九月のはじめ、二人の侍が東海道伊勢坂ノ下の宿場から鈴鹿峠を目指して登っていった。まだ日中は暑い日差しが勝っているが、坂の手前にある清滝観音を過ぎると、太陽も緑濃い樹影に阻まれて涼しさが勝ってくる。道はだんだんと急になって きた。 やがて行く手の杉木立の中に片山神社の石段が現れる。 『ここからが本当の鈴鹿山の登りだね…。八丁二十七曲がりもあるそうだ。』 額の汗を拭いながら長身の侍がつぶやいた。鋭い眼に痩せ気味の体躯、いつも周囲に注意を怠らない身のこなし。どことなく近寄り難い雰囲気が漂う。しかし独り言の節々に目が優しく光る。 これが彼の教養の深いことを示しているようだ。 『そう云えば元禄のむかし、芭蕉翁がここで一句詠んでいるなあ…』 『”ほっしんの初めに越ゆる鈴鹿山 ”だったですかね−。』 連れの口からその句が洩れた。 『やはり君もその句を思い出していたか。 志を立てて故郷を出たものゝ、最初に鈴鹿山の険を越えなけ ればならない。行く手にはどんな困難が待つのやら。 希望と不安の交錯する心をよく表現した名句だね。』 『そう名句ですな。しかし翁はまだいいですよ…。 不安と云っても、まさか命まで取られることはないでしょうから』 「それに比べて俺たちは…」 連れは言いかけたが、そのとき坂上の曲がり角を一人の浪人風の侍が下りてくるのが見えた。それを知ると二人は目配せして口をつぐんだ。 相手はボサボサの総髪、羽織り袴は汚れ放題に汚れ、髭は伸びたまま。旅の疲れがいらいらした顔の表情からうかがえる。 先方は二人の方をキッと見やった。その眼の奥には一瞬の殺気があった。 "うッ…" 長身の侍は心の中で思わず叫び、刀の柄に手を伸ばしかけた。 初秋の風も虫の声も一瞬パッタリと途絶えた。 しかしつぎの瞬間には相手の表情から殺気が消え、おだやかな顔にすばやく戻っている。 ”失礼” 二人に軽く黙礼して通り過ぎていった。その後ろ姿を見送りながら長身の侍は 『おそらく薩摩者だろう。俺たちを人斬りと間違えたようだな』 『薩摩の示現流ですね。あのヤットウ剣術にかかったら、 かなりの使い手でも、ひとたまりもなくザッくり殺られる そうですよ。もっとも参謀は水戸の金子道場で神道無念流 の免許皆伝の腕ですから、奴らの二人や三人が束できても大丈夫でしょうがね』 参謀と呼ばれた長身の侍は、袂をはだけて秋風を胸に入れながら 『僕は今まで人を斬ったことはないよ。これからも出来 ることなら刀を抜かずに済ませたいが、そんなわけにも ゆくまい。何しろ京都では泣く子も黙る人斬り集団の参謀だもんな。』 自嘲気味にしゃべり、頭上を仰いで緑の枝と青い空を眺めた。 二人の脇を商人や僧侶、駕籠かきたちがひっきりなしに通っていく。いずれも柔和な表情で生命の危険などなさそうな人ばかり。 うら若い女も編み笠の下で軽く会釈して過ぎる。しばらく彼らを見やりながら 『どの人も苦労もなく幸福そうだなあ…』 『ああうらやましいな、俺も気分一新して翁にあやかるか。』 長身の侍は懐から半紙の帳面を取り出した。表紙には黒々と 「 残し置く言ノ葉草 」 とある。連れの男はチらっと覗いて 『残し置く言ノ葉とは遺言のことですか?。まあ用意のよいことですなあ…』 その言葉に応えず 『どうも翁のような名句は詠めそうもないね。』 矢立の筆に墨をくれると、しばらく考えたのち半紙をめくって 秋萩の咲き乱れたる鈴鹿山に 声ふりたてて虫のなくなり 甲子 さらさらッとしたためた。じっと耳を澄ませば風のざわめきの中、わずかに虫の声も聞こえてくる。 『俺たちよりも、この虫のほうが明日に希望があるらしいね』 そうつぶやくと、パタんと半紙を綴じて懐に入れる。 『さて行くか』 二人は軽い声を残して再び坂を登りだした。 長身の侍の名は伊東甲子太郎、連れの方は篠原泰之進。二人とも新撰組の幹部であり、このあと間もなく組を脱退したが、近藤勇、土方歳三らに暗殺されてしまった。 参考文献 伊東甲子太郎 「残し置く言ノ葉草」 |
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