東海道の昔の話(80) 大黒屋光太夫との対話 1 愛知厚顔 2004/6/15 投稿 |
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【その頃の世情】 厚顔 『始めまして、愛知厚顔と申します。本日は冥府から わざわざお越しをたまわり恐縮です。今日は貴方の 貴重な体験や見聞を、改めてお伺いしますので どうぞよろしくお願いします。』 光太夫 『大黒屋光太夫です。こちらこそよろしく。もう 江戸幕府に遠慮しなくても済む時代です。なんでも どしどし質問してください。忘れたり記憶違いもあ りますが、できるだけ思い出しましょう。』 厚顔 『はい、では早速にお尋ねします。 いま日本で紅茶の日というのがありますが、ご存知 ですか?』 光太夫 『いいえ知りません。何ですかそれは?』 厚顔 『西暦一七九一年、こちらでは寛政三年の十一月一日 が紅茶の日です。それは貴方がロシアの女帝 エカテリーナ茶会に二世に招かれ、紅茶を頂いたこ と覚えておられませんか。これが日本人が初めて 紅茶を飲んだ日なのですよ。』 光太夫 『へえー、そんなこともありましたが。私は覚えてま せんが、たぶんロシアの宮廷日記か何かに記録され ていたのでしょうね。』 厚顔 『そうだと思います。一九八三年に日本紅茶協会が決 めました。それでは話題を変えます。 貴方が亀山藩の領民といわれるのはどうしてです か?』 光太夫 『私は亀山藩領の河曲郡南若松村(鈴鹿市)出身だっ たからです。 私たち十七名が白子浦から神昌丸に乗って江戸に向 かったのは天明二年(1782)でした。遠州灘で海難 にあい長い漂流のすえ、ロシアで十年もの歳月を 経たのち、帰国することができました。』 厚顔 『ロシア使節のアダム・ラックスマンに伴われ、 蝦夷地の根室に着いたのはいつでしたか?』 光太夫 『たしか寛政四年の九月五日です。私たち三名の帰着 で松前藩主から出された報告書が幕府に廻り、 紀州藩の江戸藩邸に通知されました。紀州藩は伊勢 松阪の役所経由で船主の一見勘左衛門に知らせがあ り、勘左衛門から亀山藩領の若松村へ報告が届いた そうです。』 厚顔 『それが寛政四年十一月七日でした。村の役人は驚い て亀山城に届けています。翌年に貴方と磯吉、小市 の三名は、松前藩から九月に津軽海峡を経て陸路で 江戸に入ったんでしたね。』 光太夫 『ハイ。でも哀れにも小市は江戸に到着する三日前 に亡くなりました。十七人がこれで二人だけになっ てしまいました。』(合掌) 厚顔 『とうとう江戸まで戻ってこられた。十年ぶりの江戸 の町を貴方はどうご覧になりました?』 光太夫 『ベテルブルグなど西洋の大都会を見てきた私にとっ て、江戸は貧しくただ喧騒なだけの町に見えました。 しかし将軍様がおわす都です。九月十八日からは 江戸城吹上苑で将軍様立会いの上、いろいろ質問さ れる上覧が待っていますので、ゆっくり都の様子を 観察する余裕はありません。』 厚顔 『一般民が将軍さま直々の上覧を賜るなど、異例中の 異例です。帰国以後の松前藩や幕府要人による調査 で、貴方や磯吉さんの人柄と知識が並々ならぬこと を知り、特別な配慮がなされたのでしょう。 この上覧のことはあとで質問させて頂きます。 まず貴方が生きた江戸時代、それも中ばのころはど ういう世相だったのか…、そこから話を進めまし ょう。』 光太夫 『そうですね。このころになると戦国時代はもはや遠 い昔となり、人々は太平に慣れきってましたね。』 厚顔 『まったくです。あのころの日本人も平和ボケしてま したね。ロシアの船舶が蝦夷近海にぼつぼつと現れ たり、ほかにも外国勢力がじわじわと日本を圧迫す る気配でしたが、私を含めて自分自身のことや日本 国内だけを考えておればよかった。 世界の中の日本なんて…皆のんびりしてました。』 厚顔 『イギリスは清教徒革命、名誉革命など革命を経験し 近代国家への道をたどっていたし、フランス革命が 起こり、世界の各地に大きな影響を与えました。』 光太夫 『当時、私はロシアの首都ペテルブルクにいましたが、 ちょうど戦争の真最中で騒然としていました。』 厚顔 『このころのロシアは、女帝エカテリーナ二世の治世 のもと、勢力を拡大し、遠く極東シベリアや カムチャッカ半島やアリューシャン列島に進出し、 これらを勢力下に置いてますね。それにアイヌ人や アリュートの人々に法外な高い税金を課ししていた』 光太夫 『そうです。ロシアは更に南下して千鳥列島にも現れ ました。彼らは北海道の霧多布、野付半島。そして 厚岸湾に来航しました。目的は通商の要求だったよ うです。』 厚顔 『そのころの北海道はまだ蝦夷地と呼ばれていて、 松前藩が統治を任されていたんですね。』 光太夫 『松前藩はこれらロシア人の来航の事実を幕府に報告 しなかったそうです。そして彼らロシア商人の交易 要求を拒否してしまったのですよ。』 厚顔 『それがどうしてバレたのでしょう?』 光太夫 『それは蝦夷地で利権を握って商売をしていた商人、 飛騨屋久兵衛が幕府に訴えたことで露見したようで す。』 厚顔 『これであの北方の強大なロシアが着々と南下し、 わが国をおびやかそうとしていることが現実となり 幕府は愕然とした。』 〔続く〕 |
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