ヒストリア
KIFA亀山国際交流の会ストーリー 作成 伊藤幸一2015年1月
亀山市とは
三重県の中北部に位置する亀山市は人口約5万人、関町との合併前の人口は4万人だった。
古くは東西交通の要衝として、宿場町として栄えたが現在は隣接する津、鈴鹿と比べれば目立たない存在となっている。
モータリゼーションの到来
1960年(昭和35年)隣の鈴鹿市に本田技研工業の鈴鹿製作所が進出し次第にその規模を拡大すると周辺に部品加工の協力会社ができてきた。
1970年前後には亀山市にも2−3の会社が進出し機械加工やプレス加工など数100人規模の雇用を抱える企業となってきた。
特に1980年代後半のバブル景気の頃には生産も、うなぎ登りでどこの企業も労働者の慢性的な不足となっていた。
そんな時代の要請から、かっては日本人が新天地を求めて移住した南米から日系人を優先して国内の労働力として活かそうとの動きが出てきた。
いわゆる”出稼ぎ”である。
特に1990年以降、福田プレス(現エフテック)では会社みずからコネクションを活かして南米(主にブラジル)からの労働者を正規職として雇い入れ工場の中枢も南米からの出身者で占められるようになってきた。
安定した生活基盤ができると家族を呼び寄せるようになり市内のブラジル系の日系人はどんどん増えてきた。
文化の違いや生活習慣の不慣れから当初はゴミ出しや夜間の騒音など地域での摩擦もあったが、自治会や会社関係者が根気よく日本の習慣の周知に努め亀山市内では次第に地域に溶け込んで一緒に盆踊りなどを祝うようになっていた。
市内には他にも派遣業者を通じて外国籍の労働者を使っていた事業所も多くあった。
当時の亀山市には32カ国約1600名の外国籍の人が登録され、全市民の約4%に及んでいたが多くの市民は自分たちとは距離を置いて眺めていた。
KIFA亀山国際交流の会の誕生
2000年頃市民と行政の協働でまちおこしをしようとの動きが主に県からの指導で始まり従来の行政主導で組織された団体でなく自発的な市民によるボランティア団体を支援する行政組織が動き始めた。
これは1995年に起った阪神淡路大震災を契機に組織化されたボランティア団体の必要性が認識され1998年に施工された、特定非営利活動促進法(NPO法)の浸透が目的でもあった。
この形として大々的に開催されたのが2001年1月21日市内神辺小学校で開催された「きらめきかめさん21」市民交流会である。
約300名の市民が集まり分科会に分かれて亀山をこんなまちにしたいと意見を出し合った。
この分科会のひとつが「国際交流」で当時日本人社会とブラジル人社会の橋渡し役でもあったG氏は「今のままでも特に生活に不便は感じていない。でもせっかく日本に来たのに働くだけで終わってしまってホントにそれだけでいいのだろうか?日本とブラジルの文化の交流を通じて何か残して行きたい。」と述べた。
分科会に集まった40名がそれぞれの思いを語り後日また集まることになった。
こうして準備会議を経て2001年10月に『KIFA・亀山国際交流の会』が正式にスタートしたのである。
活動方針として
(1) 同じ町に生活する仲間として、触れ合う場と機会をつくる。
(2) 交流の場を通じお互いの人格と文化を理解し、世界に友達の輪を広げる。
(3) 地球市民マインドで、国籍のバリアフリーにつとめる。
(4) 人が人を思いやるやさしさを大切にし、来て良かったと思えるまちにする。
(5) 広く市民・企業・行政の参画を求め、理念の共有化を図り永続性のある
活動基盤を作る。
(6) 特定の政治、宗教団体に追随しない。
活発な活動
2001年の10月7日に市内の石水渓で初めての大きなイベント「食と踊りの体験国際交流会」を開催した。
参加したのは日本語学校の生徒さんや市民ボランティアなど約90名、ブラジル料理、日本料理の食体験や踊り、ゲームを楽しんだ。
この年の暮れにはKIFAの懇親会も開催され会員29名中25名が参加し国際色豊かな雰囲気の中、大いに盛り上がった。
月刊誌の発行
2002年になりKIFAとして何をするか何度も検討会議がもたれた。
当時外国籍の市民向けの予防注射や医療情報などの行政情報は市の広報からは行われていなかった。
市としても翻訳版を発行する人材も届ける手法も持ち合わせていなかった。
ただ印刷だけは市の負担でやってくれるというのでKIFAで市広報の部分翻訳版を発行することになった。
当時の新聞記事を引用する。中日新聞2月9日朝刊 亀山市広報の英・ポルトガル語版発行
亀山市のボランティアグループ亀山国際交流の会(略称KIFA、古市修会長、会員三十二人)が、市広報「かめやま」の情報を抜粋した英語とポルトガル語版「KIFA NEWS」の発行を始め、市内に住むブラジル人ら外国人に好評という。
KIFA NEWSは、会員らが毎月発行される市広報を基に、市内に住む外国人らに必要と思われる情報を抜粋。翻訳、パソコンの編集などすべて同会の会員が担当している。
昨年12月21日に第1号を発刊。現在第3号を準備中。ポルトガル語版250部、英語版50部を刷り、市民課窓口のほか、市内の企業や市内の小中学校などに通う子供たちを通じ、外国人世帯に配布している。
20部ずつ置いている市民課によると、一週間ほどでなくなり、不足の場合はコピーしている。同課通訳担当の伊達モニカさんも「これまで病院へ行って自費で受診していたが、掲載されている市のがんや乳幼児検診なら600円。大変助かると喜ぶ人が5−6人いた」と好評という。
同市によると、市内には1752人の外国人が住み、全市民の4・32%を占め、13市で2番目に高い。古市会長は「亀山に住んでよかったと思ってもらおうと会を設立した。同じ市民として市の情報は知る権利があり、少しでもお役に立てれば」と話している。
第1号は各自で翻訳を分担した紙片を貼りあわせていたが、2002年1月号からはパソコン編集で行うようになった。
メールで送られてきた翻訳文をパソコンソフトで編集し紙面に仕上げることで一気に能率が上がった。
この英語とポルトガル語の外国籍市民向け広報は2004年12月まで3年間毎月計36回発行された。
2002年 IATSS交流会開催
東南アジアからの研修生15名(8カ国)を亀山に迎えてのKIFA亀山国際交流の会との親睦交流会が6月30日石水渓で開かれました。
IATSSは元は本田技研の関係者の設立ですが今では企業の枠を超え広くアジアとの交流の場となっています。三重TVとZTVも取材に来場。
小坂助役からは風光明媚な亀山への来訪歓迎の挨拶がありました。
来日中の研修生の若者たちは母国ではそれぞれ社会的に重要なポストにあり将来は国の指導的立場となる人材です。
当日は雨の中でしたが焼肉やおにぎり作りを楽しみおおいに盛り上がりました。
ちょうどワールドカップの決勝戦の日となりブラジルの善戦を祝ってのサンバも始まり老いも若きも踊りました。
終了後研修生たちは中の山パイロットに向かい広大なお茶畑の景観を楽しみお茶栽培についてのたくさんの質問がでました。
その後多聞櫓と西町の東海道筋に行き城西コミュニティの日本庭園や「月の庭」でくつろぎ当日の予定を終了し帰途につきました。
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語学講座も開催
KIFA主催で亀山市で初めてのブラジル語(ポルトガル語)講座はじまる
毎週水曜日「あいあい」にて9月終りまで続きます。講師はブラジル語・英語・スペイン語・日本語の話せるマウロさん。
受講生は老若様々の約25人で楽しく会話中心にブラジル語を学びました。
日本語サポータ養成講座始まる!
「あいあい」での日本語サポータ養成講座外国人に日本語を教える秘訣とは?
市内在住の外国人の増加により、地域、学校、職場において彼らに日本語を教える必要性が多くなりました。
そのような状況のなか日本語指導のボランティアの育成が望まれています。
そこで、KIFA「亀山国際交流の会」では教えるにあたって必要な基礎的な講座を始めました。
地域の外国人に日本語を教えあうことで地域での国際交流に貢献をしたいと思います。
2002年11月17日よりはじまった教室では約30名の市民の皆さんがLEC東京リーガルマインド日本語教師養成講座専任講師
船見和秀さんより楽しく講座を受けています。
KIFAMIGOキファミーゴ始まる
2月16日青少年研修センターで亀山国際交流の会KIFA主催の国際交流イベントKIFAMIGO(キファミーゴ)
2003が開催され約150人が集いました。KIFAMIGOとはKIFAと仲間を意味するAMIGOの組み合わさった造語で国籍を超え互いの文化の交流、相互理解と親睦を目的としたイベントです。
遠く豊橋からブラジル武道のグループも見え珍しい技を披露しました。日本文化の紹介では太鼓演奏や習字や折り紙、凧、紙鉄砲、竹とんぼ作り、和服の着付も行われタイから来ている留学生の娘さん達も和服姿を披露。
特に今回の特徴は参加者が何か一品、食べ物や飲み物を持参してみんなで味わうパーティとしたことで普段の家庭のお惣菜がテーブルを飾りました。
国際交流の会ではKIFAMIGOの名前が亀山の国際交流イベントとして恒例化するよう毎年実施するつもりです。
ポルトガル語講座と英会話講座
2003年9月からKIFA主催のポルトガル語と英会話の講座が亀山総合保健福祉センター「あいあい」を会場に始まりました。
ポルトガル語講座は基礎的なポルトガル語を知ろうと実際に使われているブラジルの小学校の教科書『Caminho Suave』を教材に、
ブラジル事情など織り込みながら楽しい講座が始まりました。先生はギボ マウロさん。
ギボさんは市内三寺町に在住、滞日経験も豊か、話題豊富な方でとても楽しい講座が開かれています。
今回は市内在住・在勤の方々が17名受講されています。
英会話講座は、予定30名に対し申込多数で10名追加し40名と大盛況で開講。カナダ人のジャイルス ギャメジさんが先生。
若くてハンサムなせいか人気抜群!!なんと40名中37名が女性と、にぎやかな教室が続いています。
毎回受講生は、いろいろな場面での基礎的な会話を、ジャイルスさん手作りのテキストを片手に大騒ぎしながら勉強しています。
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『わたしたちと共に暮らす外国人の日本語弁論大会』
2003年11月2日亀山文化会館で5カ国、19名の方々が、日本にきて感じたこと、困ったこと、また良かったことなど、熱のこもった話が次々と語られました。聴衆も述べ120名を越える盛況で、感動で場内も熱気むんむんの感。
小・中学生のAグループでは11名が参加、最優勝は早川 青青さんが、優秀賞にはタイ ジョナタンさんに決まりました。
高校生以上のBグループでは最優秀賞には宜保 ラファエロ ケンさんが、優秀賞には陳 芳芳さんに決まりました。
日本の伝統文化を深く研究したいという宜保さんの主張に日本の良さを忘れかけている日本人への警鐘に大いに考えさせられました。
是非来年もこの企画が続けられるよう頑張りたいと思います。
『KIFAMIGO 2004 ふれあいひろば』
2月1日(日)に亀山市青少年研修センターで第2回「KIFAMIGO2004ふれあいひろば」が開かれました。
亀山市及び近隣に住む外国人と市民とのふれあいを目的に毎年KIFA:亀山国際交流の会が主催する交流会です。
今回は、来場者みんなが一緒に楽しむことでふれあいをと、参加型のイベントとなりました。
「あずま太鼓」のオープニングで賑やかに幕が開き、その後「あずま太鼓」さんの指導のもと参加者が加わっての100人太鼓は圧巻、その迫力に感動!!最初は自信なさそうに初めてバチを持った顔も終わりにはみんなが盛り上がって大満足。
そこでは言葉を越えた心のふれあい体験となりました。
次は「子供劇場」の皆さんにも参加していただき『南中ソーラン』、また三重大学の留学生たちによるタイダンスの披露と続きました。
会場は一つの輪になって国際色豊かな即席タイダンス会場となり賑やかな笑いの渦となりました。みんな輪になってタイダンス
参加者持寄りのお菓子や食べ物をほおばりながらのティーパーティーのあとはミニ綱引きとビンゴゲームを楽しんで交流会は無事終了しました。
よく多文化共生社会とか言われますが、人と人の交流は言葉ではなく心の交わりだと改めて感じさせてくれた今回の『ふれあいひろば』でした。
IATSS((財)国際交通安全学会)フォーラム研修生との交流会
2004年5月9日(日)坂本棚田・農村公園で研修生とKIFAメンバーとの交流会が開かれました。
今回は坂本棚田保存会会長の星合ご夫妻の格別のご協力で、とっても楽しく有意義な交流会でした。
IATSS研修生たちは東南アジア9カ国から集まった17名(男性4名・女性13名)の若者たちで、現在IATSSフォーラムで2ヶ月間の研修に頑張っています。その中、地域交流として交流がもたれました。
交流会は、まず和紙の紙すき体験で研修生たちは思い思いのはがき作りに大いに賑わい、その後KIFA女性メンバーの指導で海苔巻作りに挑戦。太さまちまちの海苔巻に大歓声。
ここでも日本の食文化に少し触れ、手作りの昼食で満腹!!生憎の雨降りで一時は中止を決めた棚田の田植え体験も、研修生達のたっての希望で雨の中で田植えに挑戦、彼らの意欲とパワーに感心させられました。
坂本棚田での交流のあと関宿に移動、400年前の江戸の世界に思いを馳せ今回の交流会が終わりました。
坂本棚田保存会の星合さん、関宿保存会ボランティアの皆様のご好意で、研修生の皆様、KIFAメンバーにも大変楽しい交流会が持てたことに感謝いたします。
料理を通して世界を知ろう
第一弾ブラジル料理講習会を開催
異文化を知るきっかけにしたいと、一番大切な食文化から世界の一端を知ろうとKIFAが初めて料理の講習会を開きました。
今回は日系ブラジル人のナカシマ ヘジーナさんとルシアナさんの二人に先生役をお願いして、2004年7月25日(日)に亀山市総合福祉センター「あいあい」の調理室で市内の主婦を中心に30名の参加を得て開催されました。ブラジル北東部のバイーヤ州の代表的な料理で、エビとカボチャを煮込んだ「ボボ・デ・カマラオン」と「パヴェ」というデザートの作り方を勉強しました。調理中参加した方々は、どんな味になるのか好奇心と不安が入り混じったように見受けられましたが、いざ試食タイムになると一気に賑やかに成り今回の企画を喜んでいただきました。
次回秋には中国料理を予定しており、今後定期的にいろんな国の料理を紹介しなが「食」を通して多文化共生の一歩にしていきたいと思います。
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外国人に向け地震防災説明会
2004年9月5日の紀伊半島沖連続地震で外国人たちが避難場所を求めてパニック状態になったことで、多文化共生の一つの課題が顕在化しました。
これに対してKIFA・亀山国際交流の会、U・B・J(絆・ブラジル・日本)と市役所総務課防災対策室の三者主催で9月12日(日)に地震防災の説明会が亀山市役所内で開かれました。
当日は亀山市・鈴鹿市・四日市市等からブラジル・ペルー・ボリビア・中国など約120名ほどの外国人が参加されました。
三重県防災危機管理局地震対策室の協力で地震発生のメカニズムや発生後の対応、被害状況、あるいは事前の準備などをプロジェクターで説明を受けました。
その後の熱心な質疑応答などいつもより熱気のある有意義な説明会となりました。避難場所の問題など行政の説明などを受け、参加者もいくらか安心をしたように見受けられました。説明会の最後に防災ネットワークを確立しようとの提案が出され、今後の課題が一つ明確になりました。
英語日常会話講座
2004年9月30日から「あいあい」で英会話講座が始まりました。
今年は関町在住の岡田 アンポンさんを先生に迎え老若男女20名の受講生が真剣な眼差しで初級の英会話の手ほどきを受けています。
岡田アンポンさんはラオスの出身でアメリカの留学経験をお持ちで、現在三重大学に通いながら毎週土曜日夜開かれる亀山市の日本語教室の生徒さんでもあります。ご自身の日本語の勉強体験から英会話講座はほとんど英語で通され、受講生が聞き取りに必死(理解度は・・・?)。
とてもユニークな英会話講座が展開されています。
受講者の大半は主婦、講座が終了すると同じ立場の先生との話題は家庭のこと。漬物のつけ方を教えあうなどとても楽しい光景が展開されています。
まさに多文化共生の実践講座のようです。
一緒に作ろう!外国の家庭料理
〜第2弾 中国料理〜
7月のブラジル料理に続いて、今回は中国料理に取組みました。
2004年9月30日(日)亀山市総合福祉センター「あいあい」調理室で、市内和田町にお住まいの陳芳芳さんに指導していただき中国の家庭料理の講習会が開かれました。
男子3名、外国人3名を含めて総勢32名の参加を得て賑やかで笑い一杯の料理教室となりました。
今回のメニューは水餃子(スイジョウ)とトマトを使ったスープ・西紅柿蛋湯(シーフォンシータンタン)、中国の豆腐(?)を使ったサラダ・涼拌三絲(リャンバンサンス)の3品でした。水餃子は皮から作りましたが、意外に簡単そうで難しく四苦八苦でした。
西紅柿蛋湯はなかなか人気があり試食タイムでも家に帰ってから早速作ろうと各テーブルの参加者から話しが出ていました。
食を通じて少しでも異文化を覗くきっかけになればとの企画でしたが、講座終了後のアンケートにはいろいろの国の料理講習とあわせてその国の言葉や文化紹介もとのご意見が多数あり、今後の企画の参考になりました。
「KIFAMIGO 2005 ふれあいひろば」
2005年2月13日亀山市青少年研修センターで市内及び近隣の外国人との交流会が開かれました。
今年は、昨年まで開かれていた「外国人による日本語弁論大会」に変わり『にほんごおはなし会〜みんなで聴こう ともだちの声』と題して外国人による日本語でのスピーチを聞き、会場とのやり取りで交流をするふれあいを主体とした和やかな会となりました。
スピーチにはブラジル,ボリヴィア、中国、ネパール等15名の外国人が参加され日本での体験、困ったこと、嬉しかったことなどを、中には習い始めのたどたどしい日本語で、一生懸命話してくれました。私たちにとって「違い」を知るよい機会になりました。
お昼には、参加者それっぞれが持ち寄ったいろいろな国の料理を楽しみながら交流を深め、その後参加者全員でゲームやビンゴを楽しみました。とてもハッピーな一日でした。
地震防災・消防体験学習会
2005年3月13日(日)、地震防災・消防体験学習会が開かれ、約50名の市内在住外国人が参加されました。
参加者全員が地震車による神戸大震災時の震度再現、煙トンネルによる火災発生時の煙体験、また消火器の使い方訓練を通して災害の恐ろしさとそのときの対応を学びました。
また署内ホールでスマトラ地震での津波の映像を見て改めて津波の凄さに身のすくむ思いでした。
最後に署員の方から消防署内の案内と通信司令室での仕事などについて丁寧な説明を受けました。
日頃なかなか出向かない消防署においてこのような学習会が開かれたことは大変有意義であったと思います。
多文化共生社会の実現めざし、今後の外国人を含めた防災ネットワークの設立に向け一歩前進できたのではないかと思っています。
『万博いきいき自転車の旅2005 愛・地球博会場〜広島』
難関安楽越えチャレンジを支援 !!
きっかけは突然届いた一通のメールでした。安楽越えを自転車で通過したいとのこと。
なんでまたそんな辺ぴなコースをと思いましたが、話はトントン拍子に進み実現することになりました。
前日はコースの倒木や落石の撤去に奮闘し、当日はKIFAにつながる皆さん多数に歓迎のすべてをお願いしました。(伊藤)
2005年愛知万博パートナシップ事業の一つとして、『地球環境の保護、高齢化社会への対応』のメッセージを携えて、各地で友好の輪を深めながらの自転車の旅が計画されました。
オーストラリアの自転車冒険家スタン・ジャクソン氏(91歳)を中心にオーストラリアと日本の自転車愛好家(平均年齢68歳)が自然に優しい自転車で、5月8日〜24日に万博会場(オーストラリア政府館)をスタートに800k先広島をめざして走りだしました。
5月9日(月)は四日市から大津(滋賀)までの行程で、亀山市内川崎町R306から石水渓を通り安楽越えで土山に抜ける、全工程のなかでも最大の難関コースとなりました。
今回KIFAメンバーの伊藤さんの立ち上げたHP【魅惑の安楽古道】が縁で、Japan Cycling Navigatorの小泉さん、日本側の代表
山本英毅さんとコーディネーター永松三千生さんの呼びかけにより安楽越えをサポートする事になりました。
当日は連休明けのウィークデーでしたがKIFA・亀山国際交流のメンバー、きらめき亀山21に関わっているボランティアを中心に約25名の方が川崎町から安楽峠までの沿道各所での道案内と石水渓野外研修施設で亀山茶・新茶をふるまっての接待をしました。
また途中、野登小学校の児童たちも校舎前の道路で手作りの旗をふりながら日豪EXPOライダーを歓迎してくれました。
とても微笑ましい交流が実現できました。
さっそく届いたお礼のメッセージです。
亀山市民の皆さん、市役所の方、子ども達まで一丸となって歓迎して下さったのにはとても感動し
ました。
なんといいますか、もう、すごい!の一言です。本当に亀山市の皆様には感謝しております。
今回の万博ライドのルートは、万博ライド終了後、「2005万博ライドルート」としてJapan Cycling Navigatorのサイトで地図付きでコースガイドを書く予定です。それを読んだ外国人サイクリストがふらりと亀山市に現れたら、どうか一声かけてあ
げて頂ければ幸いです。
将来的にはまた同じようなイベントを亀山市で開ければ…などと夢想しています。
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東南アジアからの研修生 田植えを体験
KIFAでは5月26日、IATSSフォーラムという東南アジアからの研修生18名を石水渓に迎えました。彼らは日本で研修に明け暮れる忙しい日々を送っていますが、息抜きとして自然豊かな安楽の地で楽しく交流しようとの企画です。
天候にも恵まれ棚田保存会の星合さんの特別の計らいで残した苗を、今時珍しい手植えでの田植えを体験することになりました。
顔中、泥だらけになって、それでもみんな楽しくひとときを過ごしました。石水渓に移動し寿司作り体験と昼食、みんな田植えでお腹がすいていたのか、たくさん食べました。その後は紙すきと紙工芸品を作り本国への、良い記念のお土産となったことでしょう。
彼らの植えた苗は、野上がり祭りの頃には、すっかり根付いてすくすく育っていました。
一緒に作ろう!外国の家庭料理
〜第3弾 タイ料理〜
2005年7月10日(日)亀山総合福祉センター「あいあい」調理室でタイの料理教室が開かれました。
講師は市内在住の小林パッチャリーさんと佐藤なつみさん、参加者は男性5人を含めて42人と大変賑やかな料理教室となりました。
メニューはタイ料理でも最も代表的な4品が選ばれました。カラミと酸味のきいたエビのスープのトムヤムクン、クィティアオパッタイと呼ばれる焼きビーフン、ヤムウンセンと言う春雨のサラダそれにサクサクしたざくろの食感のタクティムクロープ呼ばれるデザート等参加者はひと時タイのレストランにでも行ったような気分になりました。
試食後は講師の方々との交流会が開かれタイの現状や生活習慣などと話が盛り上がり、最後は簡単なタイ語の勉強会で大変有意義な時間が持てました。
¿Cómo está usted?
あなたもスペイン語にチャレンジしてみませんか?
2005年9月7日(水)から3ヶ月間の予定で、毎週水曜日の夜スペイン語の講座が亀山市総合保健福祉センター「あいあい」で開かれました。講師の宜保 マウロさんのユーモアある講座に参加した19名の人は聞きなれない言葉への戸惑いの中にも楽しく、熱心に受講されています。KIFA・亀山国際交流の会では過去3年間ポルトガル語講座を開いてきまにしたが、市内には多くのスペイン語圏の外国人が住んでいることもあり今年度から新たにスペイン語の講座が開かれました。初回でもあり全くスペイン語に触れたことのない人を対象とした講座を目指しスタートしました。
多文化共生講演会
2005年10月29日、亀山市総合保健福祉センター「あいあい」でKIFA主催の多文化共生講演会が開かれました。講師にIIHOE研究主幹、NPO法人多文化共生センター理事 田村太郎氏を迎え『地域社会の中での多文化共生のあり方〜担うべきそれぞれの役割〜』と題して多くの参加者のなか開かれました。まず、なぜ世界的に国境を越えて人の移動が起こるのかその背景について、賃金の比較・人口の増大・人口の偏り等の面から話されました。また日本で暮らす外国人が直面する数々の課題を示し、地域社会に参画する在住外国人を共に強みを発揮しあえる存在として、発想の転換をと提言されました。そしてNPO(非営利組織)やNGO(非政府組織)の役割の増大と多文化共生社会の担い手として公共の課題に市民の積極的な取組みをと強調されました。
最後に2008年にはISO26000が施行され、企業の社会的責任(CSR)が強く求められ、人の多様性がキーワードとなるなるだろうし、世界的にSRIによる企業の選抜化が進むだろうと警告されました。
『多文化共生社会とは、地域に暮らす誰もが自分らしく生きることができる社会である。』これが田村さんの結びの言葉でした。
KIFAMIGO2006 開催
2006年3月5日(日) 亀山市青少年研修センターに市内外に在住する外国人を交え約100人の市民が集まり交流会が開かれました。
今年は三重大学、鈴鹿国際大学の留学生も応援に駆けつけ大変に賑やかな交流会となりました。
はじめに小学生9名、中・高校生から社会人たち9名、6カ国18名の外国人による日本語でのおはなし会が開かれました。
日本へ来て楽しかったこと、辛かったことや習慣の違いなどで戸惑ったことなど貴重な体験談を聞くことが出来ました。
お昼は参加者それぞれが持ち寄った料理で交流パーティーが開かれ、普段口に出来ない各国の料理に舌鼓を打ちながら、熱心に料理の名前だけでなく作り方に耳を傾け、あちこちで食文化の交流が進められました。
午後からは参加者がグループに分かれて留学生の皆さんの指導で中国のいろいろの遊びを楽しみ、最後に大人や子供入り混じっての綱引きとかビンゴゲームで大いに盛り上がりました。
日頃交流の少ない外国人たちから話を聞き、また料理を通して交流ができ、KIFAの目指す多文化共生社会の実現に向け貴重な一日となりました。
ベトナムの家庭料理教室開催
2006年6月11日(日)亀山市総合保健福祉センター「あいあい」で第4回KIFA多国籍料理教室が開かれました。
講師は市内在住のトン ヌ タン アンさん(ベトナム国籍)。市内・外から30名の方々が参加され、本場仕込の生春巻き、揚げ春巻き、にがうりのスープなどにチャレンジしました。簡単そうでなかなか巻き加減も難しく、太さまちまちの春巻きなどに笑い声の絶えない楽しい料理講習会でした。またどの料理にも使えるタレ「ヌクチャム」が味をいっそう引き立て異国の食文化を感じることが出来ました。試食後の交流会では講師のアンさんにベトナムのいろいろを聞きながら有意義な時間が持てました。
KIFAでは今後も異文化交流を主とした講習会を続けていきたいとおもっています。
2006年「KIFA5周年のつどい」
9月24日(日)5回目の誕生日を迎えたKIFA・亀山国際交流の会が亀山エコー・ホールで誕生パーティーを開きました。
多くの方に集まっていただき、とても楽しい賑やかな催しになりました。
まず鈴鹿国際大の留学生が演奏する馬頭琴のモンゴルの響きが館内に流れると、買い物客も足を止め会場に集まりその音色にうっとり。午後からは伊賀市で働くペルー人と日系ペルー人を中心に活動を始めた【ワウヘミカンキ】が南米アンデス山脈で古くから伝わる民族音楽(フォルクローレ)を演奏してくれました。
代表的な“コンドルは飛んでいく”などは誰もがどこかで聞いたことがある曲で、聞き入る人も思わずリズムを取っていました。
最後に鈴鹿・亀山を中心に活動するブラジル人のグループ【UBJ】〈絆、ブラジル・日本〉の皆さんがきらびやかな衣装でサンバを踊りだすと会場は最高に盛り上がり、参加者も一緒になってリズムに合わせ踊りだしました。
演奏と踊りの後は市内在住の外国籍の方たち手作りの料理を囲んで交流の輪があちこちに出来ました。
今回、9月22日(金)から24日(日)までKIFA・亀山国際交流の会の5年間の活動、亀山市での外国人の在住実態や外国人への「日本語教室」の様子をパネルにまとめ、また市内の小・中学校に通う外国籍の児童・生徒さんの協力で絵画などと一緒にホールに展示し、買い物にこられた方々に見ていただき私たちの会の活動と亀山市の現状を知っていただくことができました。このイベントを通し亀山の多文化共生社会の実現に向け一石を投じられれば成功と思っています。
市民協働センターみらいがオープン
このころから亀山にはシャープの工場が2011年夏の地上波デジタルへの一斉切り替えを見据えて生産を開始していた。
液晶フィルターを請け負った日東電工には多くの外国人が労働力として入り込んできた。
2007年4月から市民協働センターがオープンした。
すでに正面には民間の空き店舗活用スペースねこの館もオープンしていた。
みらいは自由にインターネットも使えるパソコンが4台あり、どこから聞きつけたのか主にフィリッピンからの実習生が休みになると本国の仲間との連絡に入り浸り始めた。
ついにはパソコンが足りなくなる状態となり「こっちでやれよ」とねこの館に移動させた。
ねこの館の当時のPCはデスクトップ機が2-3台ある程度だったけど不要PCの引取りなどで次第に増えついには10台にもなった。
PCコーナー
2007年8月(伊藤)
市民協働センターのPCコーナーはフリッピンからシャープ関連企業に働きに来ている娘さん達の余暇の居場所としてすっかり定着したようです。
休日には毎日数人が入れ替わり立ち代り来ています。
協働センターのPC(3台)の使用時間は原則1人1時間ですが、後がつかえていなければ継続使用できます。
台数が足りない分はねこの館も2台のPCを開放して自由に使ってもらっています。
無料でネットが使い放題なんて他の町ではありませんから。
彼女らの楽しみは友達同士の写真やプロフィール公開のサイトやチャットです。
ねこの館では近いうちカメラつけてビデオチャットもできるようにしたいです。
彼女らとのコミュニケーションも面白いですよ。わからない部分は片言英語でなんとかなるし。
でも視点を変えれば、大型液晶テレビがどんどん値下がりしているのも研修制度という悪法に支えられた彼女らの薄給(月6〜8万円)がなすものなんです。それでも母国で働くよりいいので来日してくるのです。
救いは貧富の差が極端な国で育った彼女らには、日本人ほど裕福層と較べて卑下したりするところがなく、とても明るく毎日の生活を楽しんでいることです。せめて無料で思う存分、ネットを楽しんでいただくことが地域貢献のNPOである「ねこの館」でできることなのです。
「ねこの館」レポート
当初はフィリッピンの女性たちが多く来ていたが、その内、中国の女性群団がやってきた。その日から彼女らの国民性の違いが目立った。
ノホホンのフィリッピン人に対して競争社会の中国人。たちまちの内にフィリッピン人は駆逐されてしまった。
それでねこの館はコーナーを分けてイングリッシュオンリーのPCと中国人向けの中国語改造のPCに分けた。
「ねこの館」は土曜日曜にはフィリッピンや中国からの若い女性たちで満員となった。
4台のパソコンをネット接続して無料で彼女らに開放した。
彼女らの仕事は液晶テレビの偏光フィルター製造だったり自動車の電装組立で、この地域の主要産業を支えていた。
ねこの館は民間100%の運営だから機材も電気代も必要だけど、あえて有料にはしなかった。
研修生の彼女らの平均賃金は月額6〜8万円だという。それでも本国では仕事がないし日本の方が条件がいいのでやってくるのだ。
それにより液晶テレビはコストダウンできるし、車も価格を維持できているのが現状で、低賃金労働の恩恵は我々も受けている。
彼女らの宿舎は狭く相部屋で生活環境は恵まれてはいない。
それでも携帯やデジカメも持って日本の生活をエンジョイする彼女らはとても明るくひがみや悲壮感がないのは幸いである。
ねこの館ではパソコンにウェブカメラも付けたのでメッセンジャで本国の仲間や家族と顔を見ながら話しているときはとても楽しそうだ。
現実に彼女らが生活している日本社会に、いい印象を持っていただければこちらもハッピーだし休日に安全で楽しい場所を提供することも必要だ。
フィリッピンの彼女たちは、ときどき「私が作ったの食べて」とココナッツミルクとパインの料理を持ってきたりしている。
冗談も通じるし英語でやり取りできるので面白かった。
ねこの館に来ていたフィリッピンや中国の皆さんは雇用環境は恵まれた方だった。しかしその他の派遣業者の人たちはそうではなかった。
外国人登録証を紛失し、本署に取りに来いと言われたフィリッピンの女性に付き添い一緒に本署に行ってあげたがパスポートが無いとだめだと言われた。パスポートは会社が持っていて出してくれないという。その人は「もういい」と結局あきらめたこともあった。
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ねこの館レポート 2007年
今日もねこの館はフィリッピンや中国からの娘さんであふれている。
いずれも当地の企業に働きに来ている研修生達だ。
フィリッピンの娘らはシャープ関連、中国の娘らは自動車部品関連である。
彼女らの余暇の楽しみはネットで本国の若者や家族とチャットを楽しんだり写真をアップして見せ合ったりウェブカメラでお互いの顔を見ながらのおしゃべりである。
いずれも料金固定のインターネット接続だから無料で提供している。
パソコンもだんだん増えてもう7台になった。中古でも整備したから充分使える。
母国の仲間や家族と話している彼女らは実に楽しそうだ。
これだけで地域貢献のNPOである「ねこの館」の存在価値はあると思う。
研修生制度は悪法だが、現実には彼女らの薄給により液晶テレビや車が安くできていることを忘れてはいけない。
彼女らの寮は部屋に何人もの詰め込みで、とても快適とはいえない。せめて休日だけでも楽しく日本での青春時代を送ってほしい。
この年末年始、工場は休むし前の市民協働センターも1週間ほど休館する。
それでは彼女らの行き場所がないから「ねこの館」は年末年始もオープンする。
2008年になりました。ねこの館もオープン後2年半
ねこのようにしぶとく、そしてますます元気になってきました。
民間だからこそできる自由さを活かして今年も地域貢献します。
昨年の始めには予想もしなかった海外からのたくさんの利用者たち。
楽しそうに本国の家族や友人とネットを使って話をしているのをみるとこちらも嬉しくなります。
この年末年始は毎日オープンし彼女らの居場所として活用されています。
この頃からフィリッピンの女性たちは寮にネットがひけたのでこぞって自分のPCを買いだしました。
地元の量販店で買った人も多かったが怪しい中古のPCをネット販売で買って使えなーいと持ち込んでくる人も多いです。
ねこの館では日本語のXP機を英語バージョンのXPに入れ替えたりもしました。
フィリッピンの女性たちの中には驚くほどのゴミ同様のPCをネットで買う人もいました。
また、日本ではまだ知られていない新種のウィルスに感染したPCなどハチャメチャのケースに事欠かなかったのもこの頃です。
お別れに残されたメッセージ
2008年5月、研修期間を終え中国に帰ることになった劉学さんの残したメッセージです。
この一年は成長の一年でした、いろいろな夢を抱きました。
この一年は前進の一年でした、勇気を持って翼を広げました。
この一年は私たちにとって、忘れられない一年でした、
汗を流して喜びを分かち合いました。
この一年は収穫の一年でした、大きな成果が得られました。
愛情を身に染みて感じました、真心を込めて交流しました、笑顔で接しました。
人生の中で素晴らしい一年でした。これから分かれることになりますが、
みんなが一緒に手を繋いで、助け合って、協力し合って、前進した一年のことを
皆さんも忘れないでください。
皆さん、別れるとき、お互いに笑顔で祝福しましょう。
ねこの館に土曜日曜と早朝からパソコンを楽しみにやって来る中国からの研修生たち、早くも1年を過ぎ帰国のときがやってきた。
先月は13人を見送り今回も14人とお別れである。
そんなとき彼女たちの寮でのお別れパーティに招待された。
テーブルには彼女ら手作りの料理が山盛りだ。
昨年の夏には緊張していた彼女たちも、すっかりこの街の人になったのに残念だけどこれも若い日の楽しい思い出となるだろう。
とかく中国とは国レベルでまた一部の世論ではいい関係とはいえないことも多々あるけれど人と人としての信頼を得られたこの1年だった。
すでに新しい研修生たちが先輩に連れられてねこの館に来ている。
今度はもっと早くこの街になじんでくれることだろう。
仕事は楽ではないだろうけど、ねこの館が彼女たちの青春の1ページの楽しい思い出になれば嬉しい。
リーマンショックで自動車関連の仕事ががた減りした。
土日に、ねこの館に来ている中国の研修生たちも金曜から休みだそうだ。
今週はなんと木曜から休みで4連休だとか。
当然収入も減るし、本人たちも雇い主も大変な時代になったものだ。
既に期間満了前に帰国した(帰国させた?)研修生もいるらしい。
もう今度の夏の入れ替えは無いかも。
個人でできることはないけど、せめてネットは無料で開放して楽しんでもらおう。
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2009年8月
中国からの研修生の多くが8月で帰国していった。
ついこの間来たと思ったのに1年期限だから早いものだ。
この間、世界同時不況という予想外の事態に見舞われ
今年の初めの3ヶ月は彼女らも週3日しか仕事がない一時期を耐えた。
もう新規に研修生で来るメンバーは無いようで「ねこ」に来る人数もめっきり減った。時代は常に動いている。
お別れに記念の写真を撮った。
短い間だったけど、彼女らは、けっこう当地を楽しんだし、若い日のいい思い出になったと思う。
国は違っても庶民の暮らしや考え方は、さほど変らないことをわかったことだろう。
防災訓練
2009年7月19日(日)、KIFA主催でミニ防災訓練を実施しました。
場所は主にブラジル系の皆さんが多い井尻高塚のアパート前の広場です。
事前に案内チラシを配布してあったのですが何人来るかはまったくわかりません。
それでも11時の予定時刻になると皆さん外に出てきました。
まず地震が来たと想定して大切なものを10分以内に持ってきてくださいとゲーム感覚でスタートです。
皆さんパスポートを入れたバッグや水のボトル、子どもさんをつれて出てきました。
それから避難所に指定されている東小学校に歩いてみました。
体育館の横で市の作成した外国語版の防災マニュアルを配布し、あったら便利なラップやゴミ袋の災害時の使用法を紹介しました。
お弁当作り
2010年3月28日、「あいあい」にて外国籍の保護者の方を対象に日本のお弁当づくり教室
を開催しました。当日は、地域のボランティアの皆様にもご協力いただき、参加者47名で楽しく料理を行いました。
ウインナーをカニやタコの形に切ることは、外国籍の方々に新鮮だったようです。
ウインナーは、世界中の子どもが大好きなようで好評でした。
参加者の中におにぎりが上手なブラジル籍のお母さんがみえて、逆に教わることもありました。
みらい塾
亀山国際交流の会(KIFA)は、毎週水曜日の午後6時30分から午後8時まで、市民協働センター「みらい」にて、外国籍児童の
学習サポートをするための「みらい塾」を開催しています。
児童数は時によりますが、10人から多い時は20人ほどになります。
学習のサポートは日本語で対応していますし、小学生に対する学習サポートは、宿題の漢字や計算、作文などです。
中学生も教科書を確認しながら、ワークブックを進めたりしています。
亀山日本語教室はじめのいっぽ
亀山日本語教室は亀山市の主催で毎週開催され市民ボランティアにより運営されています。
毎週土曜の夜、亀山青少年研修センターでの日本語教室からはしばしば笑い声が・・・・。
スタッフも学習者もユーモアの達人がたくさん。日本に来たばかりでの失敗談や、母国との違いで驚いたことなど、学習者が愉快に語ってくれます。
私達日本人スタッフと外国人学習者は教えたり、教えられたり日々ともに勉強しています。お互いを理解しあおうという気持ちを強く抱いて。
異国の地に散った命
亀山で事故で命を失った外国籍の皆さんも何人かいる。
2007年5月心を病みみずからの命を・・・。
料理教室でもお世話になったベトナム出身の女性、家を出て行方不明になり多くの人の捜索もむなしく遺体で発見された。
とても悲しい結果になりました。
今後、遠い異郷からやってきた仲間たちにどうサポート出来るのか、
KIFAの活動の中での課題として取り組まねばと改めて思いました。
地域での共生とあわせて友だちとしての心の支えが必要ですね。
時間をかけて皆様と考えてみたいと思います。
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悲惨な交通事故
最悪だったのは.2010年11月28日の通勤途上での事故であった。
社員寮が市民協働センターみらいの近くだったので犠牲者の何人かはみらいにパソコンを使いに来ていたひとたちだった。
朝日新聞の記事から引用する。
28日午前7時45分ごろ、三重県亀山市野村2丁目の県道と市道の交差点で、27人が乗ったマイクロバスと大阪市住之江区の運送会社「エスエーエル」の30トンの大型トレーラーが出合い頭に衝突。マイクロバスに乗っていたフィリピン人6人が死亡し、21人が重軽傷を負った。三重県警亀山署は、重傷を負ったトレーラー運転手の大阪府松原市天美我堂2丁目、森脇隆夫容疑者(45)を自動車運転過失致傷容疑で現行犯逮捕し、自動車運転過失致死容疑に切り替えて調べる。
同署によると、現場は信号のない交差点。県道を北進していたマイクロバスの側面に、市道を東進してきたトレーラーが衝突した。
森脇容疑者は「休憩場所を探していたら目の前にバスがあった」などと話しているといい、同署は森脇容疑者が一時停止を怠った疑いがあるとみている。
マイクロバスは三重県松阪市の業務請負会社「エーワンテック」の亀山市内の社員寮に住む従業員を乗せ、市内にあるシャープ亀山工場の下請け工場に向かっていた。運転手を除く26人のほとんどがフィリピンから出稼ぎに来ていた。森脇容疑者のトレーラーは研磨剤20トンを積んだコンテナを載せ、同日午前5時に大阪市内を出発し、長野県大町市に向かっていたという。
事故で死亡したのは男性3人、女性3人で、男性はパレル・マビニ・バンギさん(31)、コルネル・ランディー・バイロンさん(30)、ペドロ・セフェリーノ・ジュニア・サレングゥアさん(28)、女性はダガミ・アナロウ・パレルさん(30)、アダロ・アルマ・ドラさん(33)、カルグリオ・レメディオス・ベルトルドさん(24)。
その後、重態だった1名の死亡でこの事故の犠牲者は7名となった。
事故現場には慰霊碑が設けられ今でも花が捧げられている。
2011年8月
KIFAの活動を支えて10年、古市修さんの死
亀山国際交流の会初代会長の古市修様が本日お亡くなりになりました。
皆様でご冥福をお祈りしたいと思います。
アリソンから送られたメッセージです。
交通事故で若くして散った命
KIFAMIGOのお話会でもスピーチをしたペルーの少年は中学に進んで間もなく国道の交差点を深夜横断中にトラックにはねられ亡くなった。
なぜ、横断橋を渡らなかったのか。異国に散った若い命、まことに残念であった。
その翌年のKIFAMIGO
でご遺族からスピーチでの写真が残っていないかとのこと。
普通ならとっくに消していたはずのPCに偶然残っていた。その場で額に入れて贈ることができた。
いつも光っていた二人のその後
フィリッピンから来ていたアリソン、
明るく、積極的で聡明で職場のリーダーでもあった。
アリソンは亀山を離れてからも日本でしばらく働いていたが突然、女優になると英国に旅立った。
その後も時々、演劇での登場シーンをFACEBOOKで公開している。まさに世界を架ける女性となった。
中国から研修生で来ていた劉学
踊り、唄ともにずば抜けていた。寮でも仲間のまとめ役だった。
休日には、ねこの館に必ず来て、八百屋さんを手伝ったりお客さんと話しながら日本語を覚えて人気者だった。
中国に帰ってから日系企業で働いていて今東京にいるの、と電話をしてきたりする。
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