亀山市民ネット  社会を明るくする運動
(亀山市推進委員会)

更新 2022年7月8日

代表者 委員長 櫻井義之
住所(所在地) 亀山市若山町7番1号 亀山市社会福祉センター2F
亀山更生保護サポートセンター内
電話番号(連絡先) 電話 :96−8040(月、水、金曜日のみ連絡可)
FAX :96−8218
メールアドレス  
活動地域 市内全域     
活動日時 年間通じて活動(7月1日から1ヶ月間を強調月間とする)
活動分野 福祉
設立年月日 1997年10月
会員数 委員約100名
会費 なし
活動の目的 私たちは保護司のグループです。全ての国民が犯罪や非行の防止と犯罪を犯した人たちの更生について理解を深め、力を合わせ、犯罪や非行のない明るい社会を築くために毎年全国的に展開する運動を行っています。
活動内容イベント・行事情報 第72回“社会を明るくする運動”
 法務省主唱の“社会を明るくする運動”は、すべての国民が犯罪や非行の防止と犯罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪や非行のない明るい社会を築こうとする全国的な運動です。
 昭和26年(1951)に始められたこの運動は、今年で72回を迎え、これまで一貫して犯罪や非行の防止と犯罪を犯した人たちの更生について、すべての人々の理解と協力が得られるよう様々な活動を展開してきました。 

マスコミによる広報活動
@亀山ZTVによる文字放送  7月1日〜31日毎日放映
A市広報によるPR   7月1日号

“社会を明るくする運動”街頭啓発
      令和4年 7月1日(金)
例年、下記のところで行っていますが、コロナ禍のためのぼり旗の設置のみ行いました。
  亀山駅前、井田川駅前、関駅前、加太駅前、下庄駅前、エコー店前、トンカチ亀山店前、マックスバリュー亀山店前、みずほ店前、オークワ亀山店、亀山市総合保健福祉センター(あいあい)前、亀山高校前、徳風学園前
     
“社会を明るくする運動”作文コンテストの実施
主催  法務省
応募要領
@ 出品できる人  亀山市内の小・中学校に在籍する生徒・児童
A テーマ     
  “社会を明るくする運動”の趣旨を踏まえ、日常の家庭生活・学校生活の中で体験したことを基に、犯罪や非行について考えたことや感じたことなどを題材にしたもの。
B 原稿用紙  400字詰め原稿用紙(A4サイズ)3〜5枚程度
C 提出期限および提出先
   9月9日(金)  通学する学校を通じて亀山保護司会へ
D 賞   法務大臣賞をはじめ、三重県知事賞など多数。
  入賞作品は「”社会を明るくする運動”作文コンテスト入賞作品集」に掲載し公表する。

第71回”社会を明るくする運動”作文コンテスト表彰式
                                     令和3年12月18日(土)

  

亀山市推進委員会委員長(市長)賞
「明るい社会にむけて」
亀山市立野登小学校 六年 佐野  令(りょう)

 僕は、この作文を書くにあたって、社会を明るくするには、何がおこっていて何が必要なのかを家族で話し合いました。コロナ禍の現在、大人も子供もストレスを抱えている事や、アフガニスタンがタリバンに制圧された事、そしてオリンピック・パラリンピック、沢山の話をしました。その話し合いの中で改めて気付いたことが二つありました。
 まず一つ目は、家族の大切さです。
 僕が四年生の三学期、コロナが流行し出して、初めは学校が休みになったらラッキーくらいに簡単に考えていました。それまでの僕の生活は、学校と塾とサッカーで全ての時間を使ってきました。ところが学校やサッカーが休みになって、お母さんと家で過ごす様になると、苦手な漢字の勉強をやらされたり、リフティングの練習をさせられました。毎日それが続くにつれてだんだんいやになってきました。今考えると友達とも会えず、遊ぶことも出来なかったので、僕自身もストレスが沢山たまっていたのだと思います。そのうち毎日お母さんとケンカをする様になり、とうとう家出をしました。出て行った先は学校でした。朝だったので学校には誰もいなかったので、自転車を転がして過ごす日が何日も続きました。
 そんなある日、おじいちゃんがぼくを探しに来てくれました。おじいちゃんは、僕を車に乗せて、色々な話しをしてくれました。なぜ家出をしたのかと聞かれて、「お母さんにむかついたから。」と答えると、「だれがご飯を食べさせてくれているのか。やりたいスポーツを誰がやらせてくれているのか。誰がお金や時間を使ってくれているのか。そもそも苦手なことを今だからこそやりとげようと言うのは、誰のためなのか。」と、時間をかけて説教してくれました。自分でも良く分かっているつもりなのに、心のコントロールが出来なくて、反発をくり返していた当時の自分を、今でははずかしいと思う様になりました。今思うのは、おじいちゃんが僕と向き合って僕の話をしっかり聞いてくれたこと、コロナで学校が休校の間、僕に時間を使ってくれた事がその時の僕の逃げ場所になり、心を落ちつかせ安心して過ごせる場所になりました。もし、僕におじいちゃんの存在が無かったら、今でも毎日、親に反こうし続けていたかもしれません。いつも見守り応援してくれる家族、とりわけおじいちゃんの支えは、これからも欠かせません。とても感謝しています。
 二つ目は、話し合い認め合うことの大切さです。
 この夏は、日本で開催された。パラリンピックでは、程度は違うけれど、障害を持った選手が一生懸命プレーをしていました。特に、チームプレーである車いすラグビーやブラインドサッカーなどを見てとても感動しました。
 車いすラクビーは、パラスポーツで唯一接触が認められているスポーツという事で、体を張って相手と接触し何度も転倒する場面がありました。心の強さと勇気を感じました。
 ブラインドサッカーは、目が見えないにも関わらずコートの中を、自由自在にボールをけって見方にパスをしてゴールを決めていました。なぜ目が見えないのに味方にパスができるのかを考えてみると、選手一人一人が周囲を感じ取り、相手を理解し、思いやりをもって、日ごろから接し合っているからこそ成り立っているのではないかと考えました。
 僕は、小一からサッカーをやっています。小四の時には、県一になりましたが、何の不自由もない僕たちが、これほど周囲のメンバーを理解していたかというと、そうではありません。五年生までは、悪口を言われたり、チーム内でトラブルもありました。その中で、僕が心がけていることがあります。それは、みんな仲間だと言うことを決して忘れないことです。僕のポジションはキーパーなので、仲間が点を取ってくれたり、一緒に守ってくれないと成り立ちません。六年生になると、対戦相手によっては自分たちが話し合って戦略を立てることもありました。その結果、試合に負けても誰かを責めることがなくなりました。
 この夏パラリンピックの選手を見て、改めて感じた話し合いの大切さ、仲間を理解し受け入れることの大切さ、周囲を感じ察することの大切さなど一人一人が考えるきっかけがあれば、支え合える優しい社会につながるのではないかと思いました。僕一人ができる事は限られているけど、関わった人を大切にこれからも学生生活を送っていこうと思います。 
 
三重県推進委員長(知事)賞
亀山市推進委員会委員長(市長)賞
「人のつながりはあいさつから」
亀山市立関中学校 一年 勝田 千司(ちづか)

僕は、夏休みの宿題で「社会を明るくする運動」という題を聞いたとき、正直どんなことをする運動なのか、どんなことをすればいいのか想像ができなかった。だから、お父さんにどういったことなのかを聞いたら、「犯罪や事件が起きない世の中にするにはどうしたらいいのかを考えること」と教えてもらった。それを聞いても、正直、僕が今すぐ「社会を変える」ことなんて出来ないだろうし、どうすればいいのか、ますますわからなくなったような気がした。けれども、お父さんはその後で、「何で犯罪や事件って起きるのかな?何でその人は犯罪や事件を起こそうと思ったのかな?起こそうとしたときに誰か止めてあげる人がまわりにはいなかったのかな?」と言っていた。それを聞いて、僕は今まで犯罪や事件に関わったこともないから、それを起こしてしまう人の気持ちなんてわからないと、そのときは思った。
しかし、この宿題をきっかけにお父さんと一緒にニュースなどを見ながら考えるようになった。よくニュースなどで犯罪を犯した人が、抱えていた事情などが流されるが、罪を犯した人は、家族や友達、会社での人間関係のトラブルなどで、孤独を感じたり、お金が無く生活するのが大変だったりして犯してしまった人が多い気がした。
しかし、そのような人たちが罪を犯す前、少しでも誰か相談できる人や、助けてくれる人、注意してくれる人がいたら、きっとそういった事件や犯罪が起こらなくて済むこともあるのではないかと僕は考えた。当然、本人が自覚して、犯罪を止めることが一番大事だが、人は過ちを犯してしまう時もあるだろう。やってしまってから後悔するより、その前に自分できちんと考えて止めることができたり、誰か周りの人が、助けてあげられることが出来たりしたら、人はみんなもっと豊かに生きることが出来るのにな、と僕は思った。
また、罪を犯してしまった人たちが反省して社会に復帰するときに、受け入れる社会が今までと同じだったら、またその人たちは同じ過ちを犯してしまわないかと心配になった。
僕は、小学校のとき少し学校に行きづらくなったときがあった。そんなとき、お父さんやお母さんから、亀山に「ふれあい教室」という教室があることを聞いて、最初は知らない場所に行くのは嫌だったけれど、勇気を出して行ってみた。最初は慣れるのに時間がかかったけれど、学年も違う同じ立場の子たちとは、だんだん話せるようになった。そこで出会う先生や地域のボランティアの方たちが、宿題を教えてくれたり、一緒に料理を作ったりして接しているうちに、小学校生活に慣れなかった僕にも、こうして優しく接してくれる人たちがいることが、僕の中で何かの自信になった気がした。
それから僕は小学校を卒業して中学校に入学したが、あのときの経験は僕の中ではとても大切な時間だった。今では、中学校に毎日きちんと行くこともできている。この作文を書くときに、お父さんの話を聞いてやっぱり人は一人で生きていくことは絶対に出来ないと思った。悩んだときや、さみしいときは、家族や友達といったまわりの人たちと支え合いながら生きていくことが大事だと思う。
あのとき僕が経験したことで、「ふれあい教室」という僕みたいな子たちの居場所があることのありがたさがわかった。そして、出会った先生や地域のボランティアの方たちが見守ってくれているという心強さは、今の僕にとってすごく大切なものになっている。
僕は、お父さんからはいつも「友達は何よりも大切にしなさい」「人とのあいさつは大事にしなさい」「何事でも人の立場にたって、物事を考えるようにしなさい」「何事も感謝の気持ちを持って行動しなさい」と教えられているけど、今回の作文を書くときにお父さんと一緒に考えていて、僕自身の中でほんの少しだけど、それらの言葉の意味が分かったような気がした。
そういった人と人とのつながりや、それをつないでくれる人が身近にいて支え合っていくことは、とても大事なことだと思う。それぞれの人がそれを実現できるときがきたら、きっと犯罪や事件のない、みんなが幸せな「明るい社会」が実現できる日が来ると思う。
そして、きっとそれこそが、「社会を明るくしていく運動」の一つなのではないのかと僕は思った。中学生の僕が今すぐに社会を明るくすることは出来ないかもしれないけど、僕自身これからはまずは苦手だった人とのあいさつをきちんとするようにして、人とのつながりを大事に生きていきたいと思う。
 
令和4年度薬物乱用防止ポスター展を、
令和4年1月15日(土)〜1月22日(土)の間、亀山エコーで開催しました。

   
 
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