宿場の賑わい復活一座
中部の未来創造大賞、大賞を受賞
「宿場の賑わい復活一座」の活動にたいして
ノンフィクションストーリー
   歴史に息づく街道
屋号看板取付とお城見庭園完成への経過を記録を縦軸にそのエピソードを横軸に物語風にしてみました。

伊勢二見のまちおこしを見学  宿場の賑わい復活一座他数え切れない全国から集められたひな人形

伊勢市二見町の旅館街一帯をひな人形で飾る「おひなさまめぐりin二見」が開かれています。(35日まで)土産物店や住宅など約90カ所に計5000体のひな人形を並べ観光客がそぞろ歩きを楽しみながら見物できます。これは旅館や土産物店のおかみさんたちが「にぎわいを取り戻そう」と、昨年から始めた企画です。

 

 

食堂のおかみさんと町おこしを語る見学メンバー

 

二見はかつては日本有数の観光地でしたが時世に取り残されさびれていました。最近官民一体で空き店舗を貸しギャラリーにしたり貴賓の宿「賓日館」がNPO法人によって再開館され表参道の道路も整備されました。ソフト面では自分たちの町の価値を再発見したお店や地域の皆さんが来訪者と親しく話すことで新たな芽が出てきたそうです。二見の町づくりは、まだその手掛かりを見つけたばかりで、まだまだ良くなる余地がいっぱい残る、発展途上の過程なのだそうです。亀山は二見の夫婦岩に代表されるような名所はありませんが歴史ある宿場町として、また鈴鹿山ろくの豊かな自然に恵まれた古いものと新しいものが調和したまちです。この環境を活かし第6回市民交流会のメインテーマにもあるように、ええとこを残し未来の亀山を築いていきましょう。

東海道シンポジウム「大阪・守口宿大会」
11月12日(土)大阪府の守口市において東海道シンポジウム「大阪・守口宿大会」が開催された。宿場の賑い復活一座から3名と関の町並み保存会の皆さんとともに参加した。東海道は53次と思われており、57次というと耳新しいが京都の3条大橋よりつなげて、伏見,淀、枚方、守口、大阪の京橋までを昔は京街道、後に江戸幕府が公称して東海道になったといわれており、守口宿は立派な57番目の宿である。年に一度東海道の各宿場の仲間が集まる「東海道シンポジウム」はこの歴史の道、東海道を介して各宿場の仲間がいろいろな知恵や情報を共有してまちづくりにつなげていこうと毎年、場所を変えて開催されている。昔の面影残る守口宿
午後からの開催に少し時間があったので守口の宿を歩いてみた。ぽつりぽつりと残る古い建物にやはり街道沿いということがわかる。この街道は淀川の堤防の上に築かれたもので、豊臣秀吉の時代に作られ「文禄堤」と呼ばれる。この「文禄堤」は守口宿の宝であるようだった。立ち寄った写真屋さんが昔の建物を維持されながら営業されているのに感心してお話を聞く。
「外壁の虫小窓は塗り替えている。お金はかかるがこのまま使っていきたい」
そして、向かいのマンションを見ると手すりのデザインが虫小窓・・・
屋根は瓦葺、やはり東海道に住んでいるといるという思いを持ち続けている人々はいると思うとうれしくなる。
シンポジウムは地元の伝統的な踊りに始まり、各方面の歴史家の守口宿にまつわるお話を聞く。ここでやはり秀吉の時代の「文禄堤」について話が出る。
続いて各宿場の紹介、57宿の半分ぐらいの宿場の集まりであったが各宿それぞれ名前を呼ばれ立ち上がる。最後に来年の開催地、阪之下宿(亀山の坂下)の紹介があり、阪之下宿の代表が来年に向けてアピールする。
この大会は二部構成で 夕方からは交流会と称してステージにて各宿場の特色を出しながら紹介する。寸劇があったり、お国柄があって面白いが踊りが多い。皆が参加して踊りの輪ができる、みようみまねで参加しながら、仲間になった気がしてくる。踊りは江州音頭だった。亀山宿は、関宿、阪之下宿と一緒に紹介された。関宿の皆さんの鈴鹿馬子唄に舞台は盛り上げられ、さすが先輩と感心する。関宿の皆さんは毎年参加され、ほかの宿場の皆さんともお顔なじみがあるようである。桑名の宿場の人も七夕のように年に一度会うだけだが、それで楽しいし、楽しみであるといわれた。亀山宿も正式には今回が初めてであったが、各宿場の様子を知ることにもなり面白いシンポジウムであった。
           宿場の賑い復活一座 中浦豊子
来年は坂下で10月28-29日に開催決定
来年は亀山市坂下地区へお越しください守口での大会は踊りや歌と盛り上げは上手でした。でも坂下ではもっと地に着いた山里らしいイベントにしたらと思います。往時の旅人がどんな思いで京に向かう険しい道を歩んだのか、静けさの中の素朴なもてなしが似合っているかなと思います。しし鍋や鹿のバーベキューなんかも楽しそうです。初めて参加した一人として感じました。
                             伊藤 記

東海道の各宿場から何百人という皆さんが集合するでしょう。
1日目は馬子唄会館を中心に開催され、
2
日目は旧東海道を峠から関宿まで歩く予定です。

東海道シンポジウム阪之下大会実行委員会

 

屋号の趣旨説明板亀山宿東端に設置

先日ようやく露心庵あと近くの鳥居周辺に屋号の趣旨説明板をすえつけました
さまざまな反対があって、ようやくすえつけました
これで、合計 4ヶ所屋号の趣旨説明板をすえつけることができました。

「亀山市は江戸時代の城下町、また東海道46番目の宿場町として栄えたまちです。そんな亀山から近年急速に古い建物が姿を消し路地も寂れて以前の賑わいも見られなくなりました。かかる現状を憂いた「きらめき亀山21」宿場の賑わい復活一座では協議を重ねた結果、歴史的なまちのたたずまいを復活する最初のプロジェクトとして屋号の木札をつくり該当するお家に掲げていただくことを始めました。屋号で呼び合ったまちの人たちの暮らしにはなぜか親しみを感じます。そしてどのような仕事をしていられたかも知ることができたらお互いの交流ももっと深まるのではないでしょうか。この度のしごとはまことにささやかですが材料提供を始め木札製作掲示など全て市民有志で行いました。今後も皆様の協力を得て東海道亀山が個性豊かなまちとなるよう私たちも活動を続けます。」

東海道土山宿の“板橋”64年ぶり再建、「渡り初め」出席記

 東海道の名橋として安藤広重の版画「土山・春之雨」に画かれた田村川の“板橋”が64年ぶりに再建され、7月11日の「渡り初め」に、大津〜石薬師の近隣10宿場の関係者とともに出席し、橋詰に、各宿場町毎に桜の記念植樹を行ってきました。
 「歴史の道東海道宿駅会議(松山正己理事長)」の招きによるもので、地元甲賀市長、遠く関東からの東海道愛好家ほか約百名が完成のお祝いしました。
 「田村神社参堂にあった建物を背後に、春とはいえ、本格的な雨にうたれて苦渋する大名行列が渡る(版画)」“板の橋”は、1775(安永4)年に造られた田村橋で、当時通行料として一般の旅人から1人3文を徴収していたとのことです。その後、何度か掛け替えら、戦時体制の1941(昭和16)年に国道ができ、橋は取り壊されてしまいました。
 今回、板橋が実際にあったとされる場所に甲賀市が事業費約7500万円で再建したものです。
下水道管が下を通る水管橋兼務で、長さ49m、幅3mの鋼製ですが、木造風にうまく加工装飾されています。 
 “東海道”にちなみ、古武士然とした田村宮司により「海道橋」と命名されました。
 再建を呼びかけの中心となってこられた元土山町長の松山理事長は「歴史的遺産が消えていく中で、名橋再建の意義は大きい。ますます盛り上げていきたい・・」と喜こばれていました。まことに羨ましい限りです。
 土山宿は、有名な“うかい屋”さんをはじめ、暖かく手作り感のただよう大好きな宿場町の一つです。すぐ近くです。ぜひ一度お訪ねください。
渡船場跡の残る浜名湖 舞阪(まいさか)宿と、新居(あらい)宿をたずねる
                      
3月6日「宿場の賑わい復活一座」のメンバーとたまり会の有志は静岡県の舞阪宿と新居宿をたずねて当地の案内人の方々と交流した。午前中は舞阪宿の渡船場跡と脇本陣、旧東海道、松並木を案内してもらった。この雁木は浜名湖に面した渡船場跡で巾18mにわたって水際まで石畳が続く。
宿場町の名残りの脇本陣は復元され、特徴のある唐破風の立派な玄関が迎えてくれた。
歩いた東海道は家並みがそろい、途中には一里塚があり、文久2年の資料によると記された舞阪宿の各家の屋号が石に刻まれていた。また江戸時代を彷彿させる立派な松並木は700mにわたって続き、枝振りは歴史を感じさせた。午後は隣の新居宿へ移動し、関所資料館を見学した。この関所は全国で唯一現存する関所である。「新居の関所周辺のまちづくりの会」の会長さんであり、案内人でもある中島さんにお話を伺った。このまちづくりの会は関所周辺の5地区の自治会が主体となって活動している。
これまでに新居駅前の案内看板の企画、提案、関所週辺の道案内看板の設置、寺院の由来看板を設置と新井宿を訪れる人をもてなそうという意識が伝わってくる。
さらに行政は新居の関所を核として周辺を「歴史香る町並み修景地区」に指定し修景基準に合った建築などに補助金を出している。この新居の関所は町民みんなの誇りであり共有財産として、歴史的町並みを活かしたまちづくりを進めている。午前中にたずねた舞阪宿の雁木や松並木もその土地の方々の誇りであろうと思う。
我が町亀山もお城という市民の共有財産があり、東海道も曲がりくねって風情がある。誇りたいものはいっぱいある。これらを大事にした「歴史香る町並み修景地区」が指定され、保存していきたいものである。
                  (中浦)
舞阪宿 渡船場跡
脇本陣 一里塚
松並木 関所資料館
川ひたり餅の販売 たちまち完売御礼!市制50周年祭で空店舗を利用しての川ひたり餅販売
「亀山宿場祭り」における宿場の賑わい復活一座の川ひたり餅の販売にご協力下さいまして本当にありがとうございました。
おかげさまで好評で早々に売りきれご迷惑をおかけしました。
お口にとどかなかった皆様ごめんなさい。
亀山にはこのように歴史的にも由緒ある「川ひたり餅」があるのだという私達のメッセージをわかってもらいたかったのです。
瓢軒の奥様は私達の借りているお店にお花を届けてくださいました。
3日にお礼に伺ったとき、川ひたり餅」完売の話に涙を流して喜んでくださいました。
宿場祭りの本会場でもお茶席で「川ひたり餅」を使ってくださってありがたっかたです。
亀山市内のお菓子やさんが作ってみようと思ってくださるといいのですが・・・
どこかでいつでも買えるようになるといいのかなと思っています。本当にみなさんありがとう
まぼろしの銘菓 市制50周年祭で復活
川ひたり餅は市民活動グループ「宿場の賑わい復活一座」が市制50周年に際し元製造販売元の「瓢軒」の承認を受けそのブランドを活かして「森川屋」製菓に製造をしていただきます。西町の「メンズショップノザキ」さんの一画をお借りして10月2日(土)の10時から販売します。もちろんその場でも召し上がって頂けます。今後も継続して製造販売ができるかは、今のところわかりません。駐車場は亀山公園、西野公園、文化会館ご利用の上、シャトルバスでおこし下さい。
                宿場の賑わい復活一座

ときは慶長十九年(1614)大阪冬の陣が始まった。 石川主殿頭忠総にも出陣の命がくだる。このとき大阪城は天下に知られた堅城であり西には湿地帯、博労ケ淵が阻んでいた。豊臣方の抵抗は激しく石川主殿頭忠総の指揮する鉄砲隊は進むことができない。皆は冷たい水の中に立ったまま夜を過ごす。真冬の真っ只中である。寒気は足元から這い上がり、鎧や兜はもとより鉄砲、刀剣も凍え、干飯などの食料も尽きてしまう。兵士は寒さと飢えに苦しんでいた。石川忠総は『餅を運んで皆に食べさせよ。』と命じた。兵たちはこの餅を水に浸してやわらかくし夢中で食べたのである。空腹が満たされてくると勇気が涌いてくる。思いがけなく餅を頂いて元気をとり戻した兵士たち、夜明けとともに再び敵に立ち向かった。一斉に攻めこむ。こうして徳川軍を悩ませた博労ケ淵の戦いは、石川主殿頭忠総の指揮する兵の働きにより、勝利をもたらしたのだった。徳川家康は博労ケ淵の激戦の跡を視察し石川忠総に『主殿頭どのの働きはお見事。この武勇は末代までも語り継がれるだろう』と賞賛したのだった。石川家の家臣たちは、この激戦の苦労を忘れることなく、毎年十二月一日には〔かわひたりもち〕を食べ、報恩の思いを新たにしたという。
           市民文芸サイト「温故知新」愛知厚顔作:「かわひたり餅」より
江戸時代の姿そのままに復元「関の高札場」
五月晴れの5月1日、関町の郵便局前に立派な高札場が完成し、記念式典が行われました。関町にできた高札場と参加した皆さん
瓦葺きで高さ、弐間四尺弐寸(4.9m)、長さ、三間弐尺五寸(6.21m)、幅、壱間弐尺(2.42m)
 高札場とは、江戸時代に 幕府の決まりや、宿場間の運賃、駄賃などを書いた高札を掲げた施設です。現在の復元された関の高札場には8枚の高札が掛けられています。
 「宿場の賑わい復活一座」と「亀山市まちづくり推進会議」の皆さんの10名でこの式典に参加し、午後より同じく参加されている土山町の皆さんと三つの宿場町での交流会が木崎の「いっぷく亭」にて行われました。
この「いっぷく亭」も関の町並み保存会さんが東海道を訪れる人々に一休みしていただこうと作られている施設です。ほかにも地蔵さんの近くににあります。
  まず関の町並み保存に取り組まれた岡田集平先生に、古代より関の町並みは伝えられているというお話をはじめとして、20年前に町並みを保存していきたいと文化庁にお願いに行ったころの苦労話、保存の方向が決まってからも町に住んでいる皆さんの同意を得るのが大変だったことなどをお聞きしました。亀山の町も同時に保存しようという動きがあったのに亀山の町並みは行政の判断で全く違う方向に進んでしまった。とても残念であったということでした。続いて関町の高札場を作るにあたってのお話を関町の教育委員会の嶋村さんよりお聞きしました。伊藤さんという方の家の資料に関の高札場が瓦葺きであったとの記載があり、同家にはささりんどうの紋の瓦が残っているそうです。ささりんどうの家紋は亀山藩主石川家の物です。
総勢50名ほどで各宿場町の活動紹介などを行いました。土山町の皆さんは関町さんより早く歴史的なまちづくりに取り組まれているところであり現在も「土山の町並みをを愛する会」という団体が元気に活躍されている様子でした。
関町の皆さんは以前より続けている坂下宿より松並木の復元を、そして亀山と合併後も関は「町のこし」を続けていくんだと強く語られました。
「宿場の賑わい復活一座」は後発の団体です。まだ市民の皆さんに歴史ある亀山を見直そう、残していこうと意識の高揚を呼びかけている団体です。東海道を歩かれる人々にお休みどころを設けようと声を掛けているところですと紹介しました。
亀山の「まちづくり推進会議」さんはこれまでの活動や今年10月2日に行われる市制50周年イベント「亀山宿場祭り」の内容紹介をされました。宿場の賑わい復活一座も「亀山宿場祭り」で「川びたりもち」を再現するとPRしました。
交流会で感じたことですがどの町も情報誌または機関誌を発行しています。宿場の賑わい復活一座も市民に発信していくのに機関誌は必要です。

                      宿場の賑わい復活一座    中浦 記
第38回 宿場の賑わい復活一座定例会報告
                      2004年4月15 日(木)                                        
  出席者 前田、伊等安、伊藤幸、亀山、藤岡、久保田、稲垣、小菅、中浦
1. 10月2日(土)3日(日)の50周年記念行事協賛イベントの内容について
亀山の名物のひとつである「川ひたりもち」について
我グループの亀山さんにかわびたりもちの由来についてミニ講義をしてもらった
お話では時は、大阪冬の陣、亀山の殿様である石川忠総公が現在の大坂北の方、博労ヶ淵という湿地帯で布陣をしていた。寒く冷たい川の中で皆が腰までつかりながら、耐え抜き戦に勝った、そのときに殿様がご家来にくばったもちを川に浸して柔らかくして食べたことより由来する。この大阪冬の陣において、石川忠総公が戦に手柄を立て、蟄居謹慎の身をとかれたことも大きな意味をもつ。以来12月1日にはご家来に「かわびたりもち」をくばったということである。寒い冷たい川の中で戦に勝ち、そして殿様の謹慎もとかれたこのときの気持ちを忘れず、石川公にお仕えするようにとのことで「かわびたりもち」を頂戴するわけである  以上亀山さんのお話より 
4月14日  「かわびたりもち」の製造販売元の瓢軒さんに10月2日の市制50周年イベントに「かわびたりもち」をつくってもらえないか、広く市民の皆さんに紹介するため看板などをお借りできないかとお願いにあがった
現在は作っていないしもう作れない。どこかつくって下さるところがあれば作ってもらってください。看板、包装紙などもお貸ししますとのことでした
お菓子組合さんを通じてどこか作ってくれるところを探したいとおもいます
一方、「地域の活性化」のグループの皆さんも空き店舗を活用しようということで動いている様子です。瓢軒さんの空いているお店を借りて「かわびたりもち」を売りたい。ちょうど宿場の賑わいで10月2日にイベントを行うそこで「かわびたりもち」を売る予定。その後をつなげてもらったらいいということ
になりました。イベント時にお手伝いを願えそうです。

2. 5月1日 (土)関の町並み保存会さんより高札場完成披露祝賀会の出席依頼
当日は土山町の皆さんも招待しているそうで3宿場町で交流会をしようということです
10時より 式典 関郵便局前(高札場前)
11時〜14時 交流会 恵庵にて 参加費 千円(昼食代)
駐車場 恵庵
バザール開催 駐車場において 10時〜14時まで 花、植木、亀山よりお茶、など
出席者、、伊等安、伊藤幸、、藤岡、久保田、、、中浦、鈴木以上6名

はっぴを作って出席してはどうか・・・今回は市役所でお借りしようということに決定

3. 次回定例会  5月20日(木)
          
次回も亀山さんにミニ講義をしていただく予定です。内容は「高札場」についての予定
第35回 宿場の賑わい復活一座定例会報告書    2004年1月22 日(木)                                        
出席者  伊藤幸、伊藤安、中浦、以上3名
1. H16年度の補助金申請について 
   研修旅行は認められず、市制50周年事業への協賛活動費のみの補助に決定
   事業費合計231、000そのうち亀山市の補助は115、000円です
川ひたりもちはつくりたいので事業活動費で何とかしたい
  
2. 2月22日(日)の第4回市民交流会への参加について
  場所   亀山中学校   10:00〜16:00まで
内容  午前中  展示、発表、交流タイム
      宿場の賑わいから--------  ブ-スで今までの活動の展示など
               屋号のかかっている家の写真を展示したい
     御願い   各自推薦の屋号のかかっている家を写真にとってほしい
一人1枚以上ずつ写真を撮ってください。2月15日ごろまでに中浦まで出してください。大きさは八つ切りサイズで統一するつもりです。ネガでください、写真をもらってもいいですがもしも同じ写真がたくさん集ると思案しなくてはなりませんのでネガでください
※できればこのグループが何を目指しているのかこれからの活動を発信したい

市民文芸サイト「温故知新」に掲載中の愛知厚顔さんの亀山の歴史のストリーを冊子にしてみなさんに読んでもらいたい
展示で亀山城を写真か何かで復元したい
亀山のまだ知られていない歴史の掘り起こしをしよう、
亀山の 歴史的に残したい地域、さらに発展していきたい地域などの区域を、具体的にゾーン分けして市民に提案したい 
一里塚サミットをぜひやろう  

他のみなさんの意見もお待ちしますので中浦まで意見をください           
パネル展示の準備   2月21日(土)9:00 市役所集合
  午後    分散会(テーマ みんなで築こう輝く亀山)
        全体会 (分散会報告)

3. 2004年1月24日(土)午前中
名古屋の「白壁アカデミア」さんが亀山を見学
亀山さんと中浦で案内しました
  40人ほどの団体で目的は「東海道亀山宿と関宿を訪ねる」ということでした
「白壁アカデミア」というのは名古屋市東区主悦町にある白壁地区の保存と活用を目指して市民が作る市民塾です。今回はそのスタッフの方と広く名古屋の市民に呼びかけて亀山と関を見たいという人々がきてくれました。いろいろな人々が混ざっていました。
多聞やぐらを案内して西小学校のそばを通り、高札場から万町、お城見庭園、西町、歴史博物館のコースで案内しました。90分ぐらいの見学でしたが「なかなかいいな」といってもらいました、詳しくは次回の部会で報告します
4. 次回定例会  2月19日(木)  次回の出席をよろしく
中部の未来創造大賞、大賞を受賞
みなさん2003年11月12日
名古屋ドームの表彰式行ってきました
晴天に恵まれ5人で意気揚揚と出かけました
メンバーは橋爪さん(たまり会会長)、広森お披露目会実行委員長、岩間さん、豊田さん、と中浦でした.
県の方からは藤井さん、中村さん、そして県土整備部部長吉兼氏もご出席され、にぎやかでした
みなさんいっしょに同じところで表彰にのぞみ、記念写真、懇親会ともずっといっしょでした
事務局からの配慮に、深く感謝するところです。
授与されたトロフィー
お城見庭園の詳細はここをクリック
表彰式に出席の皆さん   授与された表彰状と記念品
表彰状を授与される中浦リーダー
第31回 宿場の賑わい復活一座定例会報告
                     2003年9月18日(木)                                         
1. 亀山市制50周年記念「東海道宿場町の再現」実行委員会出席報告
時期  2003年10月2日(土),3日(日)
現在のところの案は仮装行列、まちかど博物館、薪能などと西まち界隈を中心として
江戸時代の様子を映画のセット風に再現しようとしています
2 今年度の市制50周年記念オープニングパレード参加について
  10月12日(日) 9:00より10時30分まで
  宿場町の再現実行委員会も一緒にパレードしてくださいとお願いしよう
9月30日宿場町の再現実行委員会が行われました。実行委員会もパレード参加します
  来年の50周年記念事業{東海道宿場町の再現}をPRします
横断幕、などで来年東海道宿場町の再現のイベントを行うことを呼びかけます
宿場の賑わい復活一座はこの実行委員会の中で一緒にパレードに参加します
ゆかた、または和装でその上にそろいのはっぴをはおります.
ご都合のつく方はぜひ一緒にお願いします.10月12日午前9時15分東小学校に集合です
9時45分東小学校出発、800人ぐらいのパレードで10時30分芝生広場へ到着
市長等の挨拶、園児によるひと文字、御所市のみなさんによる太鼓演奏、
羽曳野市の皆さんによる太鼓演奏、アンパンマンショーなどで12時に終了、無料バスで東小学校に戻ります
3 中部の未来創造大賞にノミネートされる審査中の委員の皆さん
  9月29日(月)10:00 審査員9名+3名 亀山にみえました、城西コミュニティにてお迎えしたあと、マイクロバスで西まち、お城見庭園、高札場、東まち、本町、最後に亀山宿の入り口まで案内して次の候補地名張のほうへいかれました。
亀山の町並みを見ていただくには寂しい限りですが私たちの活動を見にこられたのだとおもって精一杯案内しました。どのような賞がいただけるかわかりませんが楽しみですね

4. 亀山市、関町合併協議会からの呼びかけ
意見交換会 10月6日(月) 19:00〜21:00
  城西コミュニティにて  中浦、久保田、岩間が参加します
5.10月21日 午後 屋号取り付け  数枚ぐらい
 伊藤さんにお世話になって中浦と2人で取り付けました
 亀山医院、北伊勢信用金庫あと、ポーラ化粧品さんなどです

6. 定例会  10月16日(木)


7. その他  9月20日
全国町並みゼミ、かしはら、今井大会に参加してきました  関町の町並み保存会の皆さん10名ぐらいと一緒に参加して来ました
次回の定例会で報告します
ついにやりました!
 東海道亀山宿への屋号看板取付約400枚、全て完了 「宿場の賑わい復活一座」

そんなことできるわけない、正直なところ最初はそう思っていた。旧東海道筋の家々の軒先に140年前当時の屋号看板を付けるなんて。それも資金はほとんどゼロ、何より役所がやるのではない。市民ボランティアがそれぞれのお家に趣旨をご理解いただいて掲げさせてもらうという、前例の無い、気の遠くなるような企画であった。140年前の基礎資料は見つかりそれを現在の住宅地図のうえに載せる作業は教育委員会の学芸員の皆さんの手で、できるだけ正確に行われた。それでも一部には明治以降にその位置に移動があったりしたようだ。今回のようなプロジェクトは市民だけでできるものでなく行政の皆さんも一個人一市民として汗を流して参加した正に画期的な協働作業であった。看板の木板は材木屋さんからほとんど無償で提供いただいた。木札への屋号の書込みをどなたにお願いするかについては、いまや生涯学習時代である。市内には公民館の文化講座「書道」を受講しサークル活動として学んでいる方が多くいる。この人たちにお願いした。「お一人おひとりの持てる力を生かして喜ばれ、それが地域の活性化に役立つことであれば」と各書道サークルの先生方にも快諾いただいた。多くの皆さんが挑戦し「私たち紙に書いたことはあるけど木板に書くなんてすごく名誉なこと・・・」と感激され、こちらも嬉しかった。特に困難だったのはそれぞれのお家へのご理解をいただくことだった。何より前例が無いから信用されない。うさんくさい団体と思われ最初は「けんもほろろ」状態だったことも多々あった。幸い西町、万町界隈はメンバーが住んでいる地元でもあったので協力が得られた。そして順調に取付が終わった結果、多くの市民の皆さんにこの活動が知られることになった。東町は個々のお店の軒先への取付けは壁構造の状態から断念しアーケードの柱への取付けとなった。西小学校の児童と先生のお手伝いという嬉しいおまけもついて本町地区への屋号取付けに弾みをつけた。本町地区は、当初難航したが、ご理解いただけたところから取付を始め数度の作業回数を重ねることで可能なところは全て終了した。これにより亀山宿の東の端(本町4丁目 露心庵)から延々と東町万町西町を経て京口坂までの約3km東海道亀山宿の全てに約400枚の屋号が掲げられた。屋号はわかっても、それが何の商売をしていたか判断できる例は少なくそれを想像することも、かって栄えた街道を思い起こすきっかけになればと思う。できることならそれぞれのお家が自分の場所の過ぎ去った時代をしのびその屋号を大切にし、将来はもっと立派なオリジナルの屋号看板を作り掲げていただけたらと思う。
なぜ屋号なの?趣旨説明版の前でメンバー一同いよいよ取り付けも終盤(本町4丁目)
宿場の賑わい復活一座 東町に屋号の趣旨説明板を設置

西町そして東町商店街にずらりと掲げられた屋号看板。東町の中心部に趣旨説明板を設置
でも誰が?何のために?という疑問を持たれた方も多いでしょう。そこでこのプロジェクトを実行した「宿場の賑わい復活一座」では2003年2月2日その趣旨説明板を東町の中心部ふれあい広場の前に取り付けました。
木製、墨書きの趣きある立て看板です。
その内容の要点はかってこの通りは東海道亀山宿として栄えた由緒あるとおりであるが次第に失われていく現状。
古き時代に思いをはせその賑わいを復活する最初のステップとして昔の人たちの暮らしをしのび話題を提供すること。この作業は多くの市民の無償の協力でなされていること。屋号の記録は江戸時代末期の記録をできるだけ忠実に再現したこと等です。同時に江が室交差点にも「高札場」の解説板が設置されました。

第19回 宿場の賑わい復活一座(町並保存分科会を改名)報告書  
                2002年8月22日
       出席者  伊藤(つるや)岩間、稲垣、藤井、中村、亀山、藤岡、木下、松岡、末崎、伊藤(幸)、中浦 
                          
l ¨宿場の賑わい復活プロジェクト、まずは屋号から継続中

1. 東町の屋号札取り付け  終了  お疲れ様でした
屋号札の中身を教えてほしいと言う声ありどうしてもわからないので各方面に何か資料は残ってないですかと発信していこう。
そこから又新たな交流が生まれるかもしれない
それから各屋号を掲げたお宅で自分のうちの屋号を調べてみるのもいいですよ、とお願いしてみよう

2. 伊賀上野の町づくり委員会より 交流したいと申しであり9月29日(日)午前中ということで決まりました
伊賀の 中村さんには連絡をしています.あちらも10人ぐらいまできてくださる予定です。みなさんもぜひ歓迎して集まってくださいね。
まず市役所(城西CCはとれず)で交流会をしてそれから町に出て東海道を歩きながら屋号札などを見てもらい月の庭で一緒に食事という案です

3. 宿場の賑わいワークショップについて
おもしろくなってきました。いろんな事が決まりそうです
地元の人を誘ってこよう。
次回のワークショップ  9月17日(火)ぜひ参加してください

4. 東海道お休み処の旗をつくろう
以前より西町の森川さんが東海道を歩いてくださる人々にお茶を出したい
といってもらっていましたが 私達も何かこたえたいという事で出し入れ自由である小旗をつくろうということになりました。氷と書いてある旗のようなサイズです
図案はお城と京口門(安藤広重の雪晴れ)を簡略したものです
添付ファイルを見て下さい  文字は松井先生にお願いしようという事になり
ました  色は浅黄いろ  殿様の着物の色だったそうです(亀山さん談)宿場の賑わいのイメージカラーとしよう 
旗は5本ぐらい作ります。欠席された皆さんも何か案があればぜひ提案してくださいね
次回の定例部会
9月19日(木)
以上です
前回の7月の部会は私が欠席したため報告書は作れませんでした
ごめんなさい
宿場の賑わい復活一座ついに東町に屋号看板を取り付け

宿場の賑わい復活一座  屋号札の掲示 東町にも掲げました・・・
みなさん見てもらいましたか.アーケードの柱にズラリと並んだ屋号。すごいでしょう!!
多くのみなさんの協力を得て屋号札は西町、万町、横町、東町と掲げ 通算260枚、本陣跡、脇本陣跡もあそこだったのですよ。ほんとうに感謝、感謝です。ありがとうございます。
屋号は掲げたのですが、商売の中身がわからないのです。誰かタイムスリップしてちょいと文久3年の亀山宿をのぞいてきてほしいのですが・・・
文久3年(1863年)に徳川のお殿様が亀山宿にお泊まりになるとき、御家来衆を民宿させたのです。そのときに亀山宿の全部の間口と屋号を調べた資料が現在、残っているだけなのです。そのため商売の中身はわからないのです。
もちろん、たばこや、道具や、とか、ぬしやとか、わかるものもありますが、山形屋とか森村屋とか和泉屋などわからないものも多くあります.
全国のみなさん、きらめきのHP見てくれている皆さん、文久3年に、伊勢に旅をして亀山宿で、**屋で、かんざしを買ったとか、何か書きとめたものは残ってないでしょうか。岡山県、高梁市のみな様、江戸時代にお殿様が交代した時に亀山に越してきて、こんな商売をしているとか、このような古文書があるとか何でもよいですから教えてください.
滋賀県の皆様、亀山宿が大火にあって、立ち直れない時、助けてくださって、亀山の商売の再建を担ってくださったよしみから、何か屋号のルーツがわかりませんか。求めています。屋号の商売の中身.ぜひなんでも教えてください。
  宿場の賑わい復活一座  ntubaki@yahoo.co.jp  中浦まで

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2002年7月27日午後かねてから準備していた東町への屋号看板取り付け作業が完了しました。
私たちもお手伝いしました。猛暑の中、小学生6名をまじえてアーケードの柱の両側に約100枚の看板を江戸時代(1863年)の記録通りに取り付けました。

特に今回は当時大名の宿舎となった本陣の立て看板を2箇所と亀山宿の東端を表示する従是西亀山宿の表示板も取り付けました。これらは特に高級な材料と念入りな彫り込み文字仕上げによる看板です。

木工細工と高所作業はベテランの豊田さん

 

 

これより西、亀山宿と読む看板作業を終えて満足のスタッフたち。

宿場の賑わい復活一座 亀山西小学校で先生に?

2002年6月25日 14:00〜15:15 亀山西小学校
参加者 岩間 近藤 末崎(市役所) 藤井(県) 中村(県)


子どもたちに「きらめき亀山21」と屋号看板を説明する岩間さん6月20日に開催した「宿場の賑わい復活一座」の会議に亀山西小学校5年生担当の先生がおみえになり、「総合学習の時間に、市内のウォッチングをしたところ、20名程の生徒が『屋号看板』そして、『きらめき亀山21』に興味をもった」とのお話をいただきました。
出来れば生徒達の質問に答えてあげて欲しいとの依頼がありましたで、早速25日の総合学習の時間に出かけてきました。

最初にメンバー岩間さんより東海道について、説明を行いました。岩間さんのユーモア溢れるお話に、子供達も熱心に聞き入っていました。その後、子供達からの質問タイムとなりました。

Q1.今までにいくつの屋号をつけたの?
A1.160個くらいです。

Q2.どうやって店の名前が分かったの?
A2.140年前にお殿さんが3000人ほどの家来をつれて亀山に泊まったことがありました。その時に、みんなが迷わないように地図を作ったのです。その地図が今も残っていたので、それを参考にしました。

Q3.きらめき亀山21ってなに?
A3.実は、みんなも亀山21に参加しているんだよ。去年の七夕で、みんなが短冊をかいてくれたよね。あの七夕をやっていたのがきらめき亀山21だよ。いい亀山 住みやすい亀山にしたいと思っている人が集まっているんだよ。

Q4.何できらめき亀山21って名前なの?
A4.「きらめき」ってのは、きらきら輝いていこうという意味です。そして、亀山を「かめさん」って呼ぶのは、「うさぎと亀」の話からきています。
   皆さん「うさぎと亀とどちらが勝ったか知っていますか?」「かめ〜(皆一斉に)」
   「そうです。亀は動きは遅いですが、一生懸命さぼらずにまじめにやって勝ちましたね。このきらめき亀山もじっくり休まずに頑張っていこうということで名前をつけました。」
   「最後に21ですが、この集まりを最初にした日が2001年の1月21日です。21世紀最初の21日ということで、21とつけました。」

Q5.みんなが集まったきっかけは?
A5. 昔から亀山には、亀山を良くしていこうと思っている人がたくさんいました。だけど、ほかの人が何をしているかみんな分かりませんでした。だから、みんなでお互いの考えや活動を教えあい、協力してやろうということになってこの会ができました。

以上、なかなか的を得た質問が飛び出しました。

メンバーの思いがどこまで伝わったかは分かりませんが、「私も屋号の取付けを手伝いたい」という子供も出てきて、今後につながる大変意義のある授業となりました。

東町への屋号看板取付準備進む

東町の地図と発掘された屋号が見れます。東町屋号地図  の「宿場の賑わい」 をクリック
PDF400KBです。表示されるまで若干時間がかかります。

市内の木工所で看板用板をカンナかけ中板をカンナかけするスタッフたち。

5月18日市内の木工所にて。

なぜ屋号看板をつけるの? 詳しい説明はここにあります。
屋号看板の説明版が付きました。

屋号看板の趣旨説明板が万町と京口門の2箇所につきました。
岡田集平先生の筆です。

 

彦根の町並み見学研修会
2002年2月28日

彦根では1985年当時から衰退していた商店街を約10年かけて拡幅と共に江戸町屋風に建て替え観光客を寄せて活気ある町に回復させました。
町並み保存分科会では行政関係者や地域の皆さん(計53人)と、これを見学に行きました。

商工会議所で市民として最初からこの計画実行にかかわってこられた北村さんから貴重な体験をお聴きしその後美しく整備された商店街(夢京橋キャッスルロード)を散策しました。

北村さんから説明を聞く

町並みを散策する見学会参加者

屋号の看板をかけさせてもらってありがとう交流会
地域の皆さんと岡田集平先生の講演を開く
2001年12月3日 城西コミュニティ

町並み保存分科会では商売を考える分科会と合同で関町の町並み創りの先輩である岡田集平先生を招き東海道の話を中心に先生の町並みにかける情熱をお話いただきました。
岡田先生は長年にわたり亀山で勤務されてきて亀山の歴史の価値を熟知されており魅力あふれる話し振りに約40名の皆さんが耳を傾けました。岡田先生の講演を聞く地域の皆さん

今では見事に完成し他府県からの来訪者も多く評価の高い関町の町並み保存も最初は地域の理解が得られず苦労されたこと。亀山には貴重な一里塚や起伏に富んだ街道筋がありそれだけで保存する価値があること等わかりやすく話されました。
その後出席者で円卓になりそれぞれ歴史ある街道筋に住んでいる誇りを語り合いました。

 

屋号看板取り付け中写真集はここをクリック
¨宿場の賑わい復活プロジェクト、続きます!
10月13日、14日に120枚ほどの屋号看板を掲げました.
江戸時代におもいをはせて ぜひみなさん一度 東海道を歩いて見てください. 私達が屋号をかかげていると皆さん出てきてくださり、あちらこちらでお喋りの輪ができました.本当にお祭りのようで楽しかったです.ご協力感謝します.いろんな屋号があります. 当時の商売を聞かれたりしてわからなかったり、おときち家というのはおときちの家ということなんです. それから たばこやという屋号はさて何軒あるでしょう. 20日にほとんどの屋号をかけ終えるとおもいますが、趣旨説明板とか 本陣あととかの看板はこれからです。おもしろそうだなとかおもわれる人はぜひ町並保存分科会を のぞいてみてください。
次回開催日 10月24日(水) 市役所3F
屋号看板取り付け進行中!
屋号看板の取り付け中です。
10月21日までに間に合わせようとピッチを上げています。
地域の皆さまもたいへん協力的で町の歴史の重みに関心が盛り上がってきておりやりがいがあります。
皆さまのお手伝いを歓迎します。

2001年10月13日
町並み保存(仮称)分科会です。町並み保存といっても保存する町並みがないという意見が多くて町並み保存という分科会は仮称としています。でももうすぐ新しい分科会名がきまると思ってください。こう、ご期待です。
町並み保存(仮称)分科会の話合いの中で、保存したい町並みとして、東海道、亀山城下内、野村一里塚、などがあげられています。まず手始めとして東海道をウオッチングしながら歩いてみようということになり、6月3日に東海道の一部である大手門より京口門まで歩いてみました。大手門にはぜひふさわしい門がほしいものです。江戸時代の大名が泊まった時の亀山宿内軒別書上帖という地図をたよりに屋号とその店の間口を確認したり、なかなかわからないところも多く、途中で建築後100年立っているというお家で道草、その家の蔵の菊の紋の瓦や避雷針に感心したりして、とにかく 京口門までたどり着きました。写真はでころぼ坂正面の格子が美しいKさん宅です。参加者は11名でした。
古い町並みだとおもっていますが、大半は明治以降の建物だそうです。今回、私たちが歩いた中の一部は現在亀山市が「くらしの道つくり」として道路の整備を地域の人々と一緒になって考えていこうとしている場所でもあります。この「くらしの道つくり」が起爆剤となって、東海道沿いにすんでいる人々の意識が変わり、昔の建物の価値を考えて、保存してもらえるといいなと思います。そこで、この 町並み保存分科会が、何ができるのか、今後どんな展望で進めていったらいいのかということもからめて考えていきたいし、住民の方々が生活していく中での負担なども考えていきたいと思っています。興味のある方はぜひ町並み保存分科会をのぞいてみてください。
第9回町並み保存分科会報告
2001年 10月9日
"宿場の賑わい復活プロジェクト、まずは屋号から"

看板とりつけ予定日
10月11日 10:00〜12:00 まで  市役所集合
10月13日 9 :00〜16:00 まで     〃
10月14日 9 :00〜16:00 まで    〃
10月20日 9 :00〜16:00 まで    〃
とりつける方法については各お家の方の了解を得ること
くぎを打つのは避ける   しゅろ縄、ねじくぎ、脚立等準備する
   きらめきのみなさんにお手伝いを呼びかける取り付け準備が終わった屋号看板

鈴鹿、亀山創造圏ビジョン民間支援事業助成金申請認可された。

次回開催日 
10月24日(水)19:30〜  市役所3階

                              でき上がってきた屋号看板

第8回町並み保存分科会報告
2001年 9月26日

"宿場の賑わい復活プロジェクト、まずは屋号から"


現在、屋号看板をかけさせてもらえるお家の状況

西町  1丁目  半数以上のお家で了解を得られた
     2丁目  残りもあるく予定
     3丁目  多数賛同を得られた
     4丁目
万町       他の地区の様子を見ながら賛同を得る予定
東まち(横町)  現在のところ半分ぐらい

屋号看板の読み方の確認 一欄表を作る
看板板削り      9月中には削ってもらえる予定

看板清書(墨字書き依頼)会員の知り合い50人ぐらいはそれぞれでお願いする
            市内の書道の先生方と生徒さんに10月11日(木)
            職員会館にて一斉に書いていただく予定
取り扱い窓口      市民課にてお願いする

主旨説明板について、 どこへつけさせてもらえるか
      塩屋さん、日野屋さん、大手門あたりで御願いしてみる、最低 3ヶ所  はほしい

 鈴鹿、亀山創造圏ビジョン民間支援事業助成金申請中

 看板とりつけ予定日
10月11日 10:00〜12:00 まで  市役所集合
10月12日 13:30〜16:00 まで    〃
10月13日 9 :00〜16:00 まで     〃
10月14日 9 :00〜12:00 まで    〃
とりつける方法については各お家の方の了解を得ること
くぎを打つのは避ける   しゅろ縄、両面テープ、ボンド、ねじくぎ、脚立等準備する
   きらめきのみなさんにお手伝いを呼びかける


次回開催日 
10月9日(火)19:30〜  市役所3階

第6回  町並み保存分科会
2001年8月27日 PM7:30〜
市役所 3階 理事者控室

前回の分科会で大手門〜京口門までを屋号看板設置する事に決定したので、東町1丁目・西町3・4・5丁目の皆様方に、『宿場の賑わい復活プロジェクト まずは屋号から』のお知らせチラシを配布して沿道の皆様方に協力依頼及び本日の分科会に参加を呼びかけました。その結果沿線住民の方新たに5名の参加をいただきました。

 ・きらめき亀山21市民交流会の発足説明 東町1丁目・西町3・4・5丁目の皆様方に説明  
 ・参加者自己紹介
  ・町並み保存分科会説明                      
  ・先進地事例紹介(プロジェクター使用) 
    三雲町  関町  土山町
  ・亀山ではどのようにできるか
 ・"宿場の賑わい復活プロジェクトまず屋号から"説明            
昔の様な活気を取り戻し古い町名・屋号を残して歴史的資産を次世代に残し伝えていきたい。
もう一度呼び戻そう町の賑わいを

・ 実施計画案(サンプル提示して説明)
・原則として賛同して頂いた家に屋号看板を掛ける
・構想としては、露心庵(本町4丁目)〜京口坂を最終目標としたいが今回の実施範囲は、大手門〜京口門とする

・本年度は、東海道伝馬制度400周年として街道ウォークが10月21日実施される。どうせ屋号看板の設置計画が有るのであれば、その日を目標にする。
・屋号は、文久3年(幕末)当時の屋号を基本とする。この事は、実施区間に説明看板を3箇所程度立てて理解していただく
・東海道 亀山宿 (横町・万町・池ノ側・西町・西新町)○○○や とし
 東海道 亀山宿 町名は、型抜きし書き上げる 屋号はひらがな手書きとする。  

サンプルを見て参加者の意見
・屋号は、現在の住民が知っている物と違っているため誤解を招く恐れがある。
 時代及び住人等変われば、屋号も自然と変わっていくので現住民が知っている物と違っている場合が有るのは、仕方がないと考えるそのために、文久3年当時の屋号であると説明看板を3箇所程度立て理解してもらう
・前記の様に誤解を招くので、屋号に跡を入れたら良いと思う。○○や跡
・看板の材質が気になる 粗雑ではないのか カンナがけ出来ないか ニスは、塗れないか 沿道住家に掛けて頂くのであればもう少し良いものを 
市民の善意により無料で用意して頂いた。それと、我々市民の力で行なうため(人材奉仕)を目的として資金援助は、非常に困難である事から今の材料でお願いしたい

第6回分科会の総括
・本日参加頂いた方々に町並み保存部会の趣旨(まず屋号から)に賛同して頂いた。
・板材については、仕上げをもう少し検討する。(表面仕上げ)
・東海道 亀山宿 町名 屋号(ひらがな手書き)跡をつける
例 『東海道 亀山宿 万町 よろずや 跡』
・"宿場の賑わい復活プロジェクト まず屋号から"の説明を沿線住民の方々にお知らせする。
    ・沿線住民の方々へ協力して頂ける様に訪問する。

    ・次回開催日 9月13日(木)市役所3F
第5回町並み保存分科会
2001年8月10日 19:30〜市役所2F  会議室 

内容

10月21日(東海道400周年ウォーク姫様道中)を目標に看板のサンプルを見ながら具体案を検討
行動します。
≪宿場の賑わい復活プロジェクト≫  まずは屋号から。
その内容は、当時の町名、屋号を書いた看板をつるす

たとえば
  東海道・亀山宿: よろずまち: ぬしや

三雲町の実例や関町の屋号を書いた看板のスライドを観ながら説明を聞き来ていただいた地元の方々に意見を聞き具体案を検討しました。

こんな屋号の看板を作ります。



次回開催日  2001年8月27日(月)午後7時30分〜
市役所3F  理事者控え室

 

第4回町並み保存分科会
2001年7月16日 19:30〜市役所2F  会議室 参加者12名

協議事項

藤井さんより三雲町の「格子戸の会」についての説明あり。(三雲町において屋号の看板を掲げることから初めて、まちづくりを行っている住民団体) 活動拠点として町が無償で古い家屋を買い入れ7月21日にその落成式らしいということで有志で三雲町に行くことになる。

内容

10月21日(東海道400周年ウォーク姫様道中)を目標に行動します。
≪宿場の賑わい復活プロジェクト≫  まずは屋号から。
その内容は、当時の町名、屋号を書いた看板をつるす

たとえば
  東海道・亀山宿: よろずまち: ぬしや

皆様方の中でちょっと話し聞きたいなという方
下記の日程でお待ちしています。

次回予定:看板を具体的にどのようにつくるのか。 
地元の方々にも参加してもらって賛同を得たい。
看板の板を探しています。古いお家の板戸とか、天井板とか床板とかあればご一報下さい

次回開催日  平成13年8月10日(金)午後7時30分〜
市役所3F  理事者控え室

第3回町並み保存(仮称)分科会
2001年7月6日

気 付 き の 種 を ま こ う

 亀山は、城下町・宿場町である。関には無い良さがいっぱいある。それを
旧東海道沿いの住家の皆様に気付いて頂きたい。

家の前の道でなく  前の道は東海道だ それに気付いて

すごい歴史ある道 東海道 で生活しているのだ

すごくええ処に住んでいる

気付きの種をまこう

☆ その方法を考えよう
  やはり主役は、東海道沿線の方々である。そのためにやれることは?

・当時の地名をつけた道標を設置
・当時の屋号を軒先に吊るす
・東海道の案内看板や道標 史跡など案内板を設置
・古い家や風情ある家のマップづくり
・ 沿線住民のお宅訪問


  市で実施する「くらしの道づくり」事業と同調してまず行なう。
   池の側「山兵」さん 〜 江ヶ室派出所(大手門)から始めよう
以上、第3回分科会で考えました。
              
皆様方のご意見もお待ちしています。

町並み保存分科会東海道を歩く
2001年6月3日

きらめき亀山21 町並み保存(仮称)分科会 第2回集い

2001年6月3日の日曜日の午後、町並み保存(仮称)分科会は東海道の一部である大手門より京口門までウオッチングをしながらあるきました.

江戸時代の屋号や間口などがかかれている図面をもとに、そのころと同じ屋号のお店を発見したり、又何代もひとが変わっていて、昔の屋号も商売もたずねてもわからなかったりして、江戸時代から現在までの栄華盛衰を見る思いがしました.昔の屋号をそのまま掲げて商売をつづけているということはすごいことです.

又,築180年のお家の蔵の瓦の菊のご紋に関心したり、日野屋さんという醤油屋さんはもとは滋賀県から移ってきていたという、お話を聞いたりと、興味は尽きることなくおもしろい半日でありました.

.又残しておきたい.家屋、町並みなどもしっかりチエックして、最後に照光寺さんにて面白いものを発見.亀の字が入った瓦です. どうぞ写真をご覧ください. 

 

大手門あたりより出発。江戸時代の 屋号を元に場所を確認しよう  田中さん宅の素敵な門 
   
宮崎さん宅  舘逸雄さん宅の見事な蔵
小平さん宅  取壊されそうです 
ただ今何とか残して下さいとお願い中です 
舘逸雄さん宅の正面
   
京口門あとの説明板の前です   
    光寺さんの亀の瓦
以下参加者の感想です.
* 老人世帯が多く10年後のまちに危機感を感じる.
* コミュニィティ活動の充溢をはかり充実を図り、町並みについて関心を高める.
* 住人の日常生活における負担の大きさをしった.(住人との会話から)
* 保存したい建物のマップを作成し古いもの、残すものを考える.
* 保存したい建物住民と、話し合いの場を設ける。
* 文化財的、歴史的価値は少ないが景観的に残す価値は大きい. 
* 個々でなく、今でなく、将来的ビジョンを持つことからはじめる.
* 江戸時代(東海道沿線)に繁栄していた町の商店街といっしょに考えては
* 古い家は住みにくいが、残すメリットを見出す.
* 今日、誓昌院で地区映画会を行っていた.コミュニィティの場である.
* 古い家をみてその住人から話を聞いた.まちかど博物館のように一般開放はして もらえないだろうか.
* 一般開放は住家人に負担が大きすぎる.個人では無理.地区(自治会).ボラン ティアなどの手伝いを考えてみてはどうか.
* 歩いて多くの発見があった.説明、案内看板を立てることからはじめてどうか.
* 大手門、京口門の場所に広場をつくりできれば建物(門)などを立てたらどうか.
* 空き家が多く見られた.その利用方法を考え、生かすことができたらいい.
* 立て替えも古い面影を残す方法でできれば(住人の理解を得る話し合い)
* 今日、古い建物を壊すと聞き、今の風情(連子格子)を残すように話にいきたい.
* 現在の生活用式にあった立てかたなどを助言できないか(迷ったり悩んだりしているらしいと聞いて)
* 市の条例(町並み、景観等)文化財城郭指定の対応策があるが、行政主導ではなく住民主導でないと存続は困難である.

 

 

 

 

経過

まず亀山には、すばらしい町並みが残っていると思われる。皆さんにとってそれはどんなところかと問いかけ、ポストイットに記入してもらった。それを亀山市の地図に貼り付け皆で場所を確認した。次にそれぞれの方に自分の残したい町並みについて語ってもらった。
そしてその理由、その町並みに対する熱い思いをたずね最後にこれからどのようにすればよいのかという提案を求めた。

*亀山の町並みの残したいところ。

理由

東海道  大岡寺なわて    ロマンチック街道と呼ぶにふさわしい
亀山城跡と東海道   亀山らしさを象徴している
東海道と宿場町   自然景観をふくめて亀山のメインである
椿世町旧家と中庄町の蔵   建物として価値がある
天神町からみた東町丘陵に建つ町並み  すばらしい
東海道から一歩入った路地裏     古いお地蔵さんや古い建物と新しいものとの混在が良い
亀山城から東町 歴史的な町並みを残したい
亀山の寺など   その歴史を含めて残したい
東海道と城   県外から多くの人が訪ねるのでぜひとも残したい
東海道   古いものと新しいものとの混在
でころぼ坂(人形坂) 伊勢に行く唯一の道、名前も良い
ぜにきんの3階建ての蔵   3階建ての蔵は珍しい

 
      
*どのようにすればよいか。

年間におとずれる人々よりおちたお金で保存できないか(近年の歴史的な見て歩きブーム)
文化を継続するには人を育てることも対象になる。
行政に全部頼るのではなくできることはやっていく。
土産、特産物で財源を作れないか。(亀山には銘菓がない銘菓を作ろう。例えば安藤広重などはさしぐしと書いている。それを何かヒントにできないか。)
現在ある古いものと新しいものを調和させて残す(たとえばよろずまち、鍋町という地名などは残したい。)
東海道など歴史的な建物には由来などを書いた標識を建てる。
遠方より訪れる人のためにトイレ、休憩所を作る。
ほぞんすることの意義などもしっかり考えていきたい。
町で暮らす人々にとっての町並み保存はどういうことなのかを考えることも重要。

 

 

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